見出し画像

僕はコーヒーが飲める

ワインに関しては良いと思うものの範囲が狭まっている感じがしますが、コーヒーは昔と比べてだいぶ、甘くなったというかこだわりがなくなったというか、飲める幅がだいぶ広くなりました。

昔はチェーンのコーヒーショップとか行きませんでしたし、チェーンじゃなくてもコーヒーが自家焙煎、あるいは良いロースターから仕入れているコーヒー屋以外ではコーヒーを飲みませんでした(今はなきクラシックなどの名喫茶は例外。味以外が突出していたら仕方がない)

たまに飲む機会があっても本当に飲めませんでしたが、今は割と飲めますね。

時間が経ちすぎて劣化したコーヒーは厳しいですが、それ以外はそんなに美味しくないと思ったとしても飲めるようになってしまいました。フランス行った時とかも朝食で飲める美味しくないコーヒー毎日飲んでましたし(飲まなくても良いのですが何故か飲んでしまう)

それは良いのか悪いのか‥

食のプロとしてはあんまり良くない気もしますが、一応質も見ているからダメではないかな?質と好みはきちんと分けて判断するように心がけています。良い悪いは質だけではなく、その業態としてや価格などいろんな要素を含めた上で見るようにしています。

コーヒーのプロではないからまぁいいのか。

ちなみに好みなんだから何が好きでも良い、というのにはあまり賛成していません。それはより良いものをと試行錯誤している造り手に悪い気がしますので。

質の上下はしっかりと判断して、その上でこれは質は少し悪いけど好みだというのは良い気がします。そして質の良さもいろんな質の尺度がある。色んな良さがあるけどなんでもありではないということ(個人でただ楽しむだけならなんでもありで構わないけれど)

大体みんな一つの尺度で捉えようとしていますよね。これだ!と思ってしまうと、それ以外は否定の対象となってしまう気持ちはわからないではない。

自分の価値観をしっかり持っているのはある意味、良いことだとも言えますけれど‥

明らかに質の低いものを良しとしている場合、教えてあげることは良いことではありますが、伝え方を考えないといけないですね(教えるのがお節介になるケースもあるから色々と注意が必要)

それはそれとして、飲めるレンジが広がってしまったことで、おおらかな気持ちでカフェに行けるようになりました。昔はよくわからないカフェに入るのに躊躇してましたから。

多少美味しくなくても、空間が魅力的で店員さんの感じが良ければ家族で楽しく過ごせます。むしろ接客が雑すぎたり、汚いお店だったりすることの方がいやかな?

でも一人でカフェに行くとしたら、やっぱりある程度美味しくなかったら辛いなぁ。飲めるとは言えね‥

ワインは美味しさというよりその土地らしさを考えながら飲んでいるので、美味しくても、らしくないものは、うーん、ってなっちゃうんですよね。

その土地らしさはワイン以外でも感じることではありますが、コーヒーは焙煎やら抽出やら、造り手以外の手が加わり過ぎているので、その土地が見えにくいです(コーヒーのプロの方達もテロワールという語は良く使っていますけれど)

もう少し本腰入れて考えていけば、コーヒーでも少しづつ、らしさが見えてくる気はしますが、今はワインで手一杯‥

なので、生活の一部として毎日飲むコーヒーは、「美味しいなぁ」とか、「あんまりだなぁ」とかは思うにしろ、あまり考え過ぎずに何でも飲めてしまいますし、仕事として探求しているワインは飲める幅が狭くなっています。

昔は結構、逆な感じだったんですけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?