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自分軸の作り方#16~【不登校】子供が初めて暴れた日の話~

 長男が朝から登校しはじめるまでの話を少し、しておきたいと思う。

 小6の2月に登校できなくなった長男は、春休みに友達とたくさん遊んで充電した。中学の入学式には無事参加でき、制服姿の記念写真を祖父母に送ることができて、私はほっとしていたが、3日で彼はエネルギーを使い果たした。

 不登校支援塾、行政の適応指導教室、精神科、思春期心療内科のカウンセリングに行ってみるが、本人の意欲は、いっこうに出てこない。私は不登校関連の情報取集に必死だった。おしゃべりで笑顔のかわいい長男の、魂の抜けたような覇気のない様子を見ているのは、たまらない気持ちだった。

 コンプリメントトレーニングを受け始めたのはゴールデンウイークの頃だ。藁をもつかむ思いで、取り組み始めた。子供のもつ力を見つけて言葉にすることは、たどたどしく、日本語のはずなのに、初めて使う外国語のように、スッと出てきてはくれない。

「不登校は1日3分の働きかけで99%解決する」本の中に「コンプリメントを始めると、自分がいかに気分で子どもを叱っていたかが分かります。案外、これが子供のコップの自信の水を減らしてしまっている一つの原因だったかもしれないのです」と書いてあったが、我が家は本当にその通り!

子供を観察して、余計なことは言わずに見守る、よいところだけ言葉がけする、ということが、本当に苦しかった。

トレーニングを始めて1カ月後。

長男が、

「学校にいこうかな、っていう、ともしびが心にポッと浮かんだ」と、手のひらを上に向け、つぼみを広げるようなジェスチャー付きで、言った。それを聞いた時の私の心にも、ともしびが、ポッと生まれた。

担任の先生と相談して、1日1時間別室で、担任の空き時間に登校してみることになった。(長男の中学には保健室登校などの別室対応はない。)

毎日一時間、担任の先生と話をして、少しプリントの問題を解いて帰ってくる日々が続いた。担任の先生も、長男の前ではすごくよく喋るらしい。私と長男は、よくおしゃべりをした。彼は聞き上手なので、本当に話しやすい。

人の話を引き出す力があるね、と声をかけることができた。

7月。

 コンプリメントトレーニングを受けていた私は、計画に沿って、子供の電子機器制限に力を注いでいた。電子機器依存の状態では、お母さんの言葉が届きにくい、という。そのころは次男も五月雨登校になっていた。

 ゲームが脳に与える悪影響について何度も話し合い、すこしずつ時間を制限していき、長男については全面禁止にしたところだった。長男は、ゲームができないことに不満を持ちつつ、学校行ってないから仕方ないなあ、という反応だった。その代わりに、トレーニングに則って、毎日トランプやボードゲームなど親子団らんの時間を持った。週末には夫も交えて、1日中大富豪をして遊んだ。団らんが習慣づいてくると、何かあって機嫌が悪くなり部屋にこもっていても、夕方になると「団らんするの?」とリビングに出てくるようになった。

 トランプやボードゲームは、とてもいい交流ができる。電子機器には、「表情」がない。わずらわしさがない代わりに、人間らしさもない。相手の気持ちを何も考えなくてもいいから、嫌なことも考えずに済み、すごく気持ちは楽なんだと思う。
ただ、ごく最近生み出された、目まぐるしく動く映像の刺激に、人間の脳の情報処理は追いつかない上、コカイン等の薬物に匹敵する快楽物質を脳内に放出するそうなので、特に成長期の脳には良くないと思っている。
電子機器類の開発者が、我が子には電子機器を制限しているのは、有名な話である。

電子機器類が依存症ビジネスであると言う文献はこちら↓

生身の人間同士のゲームは、お互いの顔が見えるから、喜んだり悲しんだり、悔しがったり、相手の表情を読みながらできて、心のエクササイズになると思っている。

 7月中旬にある期末テストをどうするか、と担任に聞かれた長男は、「受けたい」と言った。学校に行けるようになったら、ゲームが解禁される、と期待していたことも、大きかったと思う。

「テストなら半日で帰れるから、その日から行く。」と、テストの1週間前に言い出した。その時に、夫も含めて今後のゲーム時間の話し合いの時間を持った。

 ゲーム障害がWHOに病気と認められた、と新聞に掲載された時期でもあり、長時間のゲームは良くないということはわかっているのだが、子供たちは思い切りゲームがしたいと願っていた。 夫は、その話し合いで、なんと

「学校に毎日行くこと、成績は真ん中より上位に入ること、部活もちゃんとやること」

などを、ゲームができる条件として挙げた。あまりのハードルの高さに、他の3人は驚いた。私は、成績・部活は急がず様子を見て、いま、少し学校に行く気持ちが湧いてきたところなので、登校を最優先に考えることを提案し、安定して登校できるようになったら、心も元気になったということだから、ゲームを再開しましょうと提案し、こどもたちも、一応了承した。

そして、期末テストの日、本当に長男は朝から教室に登校した。

もともと、我が家はゲーム時間を90分としていて、スマホは持たせていなかった。他のトレーニング生からは、ゲームを制限すると必ずと言っていいほど暴れる、あまりの暴れっぷりに警察を呼ぶご家庭もある、と聞いていたので、覚悟していた。「うちの子は依存ってほど依存状態じゃなかったからか、暴れなかったなあ・・・」と思っていたのだが、テストの2日目に帰宅した長男は、急に怒り出したのだ。

「なんでも制限しやがって!!!好きなだけゲームさせろ!!うわー!!!」と大声で泣き叫びながら2段ベッドの梯子を持ち、私に向かってきた。子供が暴れるときは時はけがをしないように離れること、と、トレーニングで教わっていたので、その場を離れて様子をうかがっていると、しばらく怒鳴って、他の家具に梯子をガンガンぶつけている音がしていたが、数分で静まった。

その後疲れて眠った長男は、食事もとらず、次の朝まで寝ていた。その日からしばらく、別室登校をやめ、学校を休むようになった。

 長男は、おとなしくて物わかりのよい子だと思っていたので、すごく驚いた。多分、暴れた本人も、自分に驚いていたんじゃないかと思う。でも、「やっぱりこの子も暴れるんじゃん!」と、少しほっとしたような気持ちだった。

この後、長男は徐々に、反抗的な態度をちょいちょい出し始めた。

それまで抑え込んでいた感情の蓋が、あの暴れた日に、吹っ飛ばされたみたいに思えた。

 それまで私はこの子とはすごく仲良しで、理解者でいるつもりになっていたけれど、本人も無意識に私にすごく気を使っていたんだと思う。

この時に感情が爆発してくれたおかげで、この子は「自分」を出し始めた。親に、大人に、合わせるだけではない自分を。

 学生時代、カウンセラーの方から聞いたことがある。クライアントの傾聴を続けていると、急に感情が吐露される瞬間がある。また、怒り感情をぶつけて来られることもある。もしも怒鳴り散らして攻撃してくる相手を向き合うときには、言っている言葉ではなく「あんたを信頼したいんだよ!」と、文字変換して受け止める、ということを。

長男が私を、信頼しようとしてくれていることは、肌で感じた。「ゲームさせろ!!」と、思いを吐露し、「お母さんを信頼したいんだよ!!」と泣き叫んだことが、嬉しくもあった。 

 子供がどうあれ、私のやることは決まっていた。子供の過敏反応には、反応しない。ドンと構えて、笑顔でコンプリメントの言葉をかけること。長男は、お腹がすいたら食事をしにリビングに来たし、淡々と、日中は学校タイム、家事のお手伝いをしてもらい、夜にはトランプをして過ごした。ゲームや電子機器の管理については、本当に生活リズムへの悪影響があるので、自分で自分をコントロールできる力がついてから本人に任せる方がいいと思って、方針を変えなかった。

 
 二日間の登校を果たして、再度のおやすみモードに入った長男。
 わかっていても、私が笑顔になれないことが増えた。テスト前のように、少しでも学校に行ってほしいという欲がふつふつと湧いてきた。

そして、夏休みを迎えることになった。



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