見出し画像

自分軸の作り方#140 幸せな人に会いに行きたい。


先日、ギャラリー&カフェ と看板に書いてあるカフェに、夫と二人で入りました。どんな絵が飾ってあるのかな~と少しワクワクしながら。

なのに、なんとその日ギャラリーはcloseと書いてあり、
一枚の絵も飾っていなかったのです。

はあ、残念。
カフェオレを飲みながら、本棚に置いてある本をパラパラ開きました。

その中で、
「フランケンシュタインの城」という本から抜粋した文章が紹介されていました。
おそらくかなり古い文献なのですが
その文章を読んで、

「幸せな人に会いに行きたい!」と 強く思いました。


その文章を紹介します。


一九五九年のこと、私の書いた『敗北の時代』という評論を読んで興奮したアメリカの心理学者エイブラハム・マスローから、一通の手紙が届いた。その手紙にはこうあった。心理学者として、自分は病んでいる人を研究することに飽きた。病んでいる人たちは、自分の病気のことしか話そうとしないからだ。それよりも、健康な人たちを研究することにしようと決め、友人たちの間をきいて回ったところ、まもなく数十名のきわめて健康な人たちを研究対象として集めることができた。その人たちと話をしてみると、それまでどの心理学者も気づいていなかったことが発見できた。
健康な人は誰でも一人残らず、だしぬけに圧倒的な幸福感をかなり頻繁に経験する、ということがわかったのだ。マスローはそういう経験を「絶頂体験」と呼んだ。(P2-3)
さらにマスローはもうひとつ面白い発見をした。絶頂体験のことを学生たちに話しているうちに、学生たちが自分の経験した絶頂体験のことを次々に思い出し始めた。そういう体験をしていながらその当座にはあまり気にとめなかった場合が多かったのである。それだけではない。絶頂体験のことを考えたり論じ合ったりするようになったとたんに、学生たちは
定期的に絶頂体験をするようにもなったのだ。いいかえれば、近きものと遠きものがひとつに重なりあうように思われる瞬間(ひととき)にほかならない絶頂体験というものは、ヴァイタリティとオプティミズムの結果にほかならないのだ。だが同時に絶頂体験は内省や内察をとおして拡大し、反復されることもできるのであり、ただそれがひとりでに起こるがままにさせておくかわりに十二分な注意をそれに向けることによって、絶頂体験の頻度と強度を増大させることができるのだ。(P26)


実に面白い!

健康な人は誰でも一人残らず、だしぬけに圧倒的な幸福感をかなり頻繁に経験する、ということがわかったのだ。
絶頂体験のことを学生たちに話しているうちに、学生たちが自分の経験した絶頂体験のことを次々に思い出し始めた。そういう体験をしていながらその当座にはあまり気にとめなかった場合が多かったのである。
それだけではない。絶頂体験のことを考えたり論じ合ったりするようになったとたんに、学生たちは
定期的に絶頂体験をするようにもなったのだ。

という部分が印象的でした。

何気なく入ったカフェで、こんな文章に出会ってしまうことが、
実に面白い!

「いいこと書いてあるよ、聞いて聞いて」
夫にこの文章を読み聞かせ、
そして、この本を図書館で予約しました。

右脳と左脳は脳に住んでいる二人の自分、その統合の話のようです。
現代では、もっと研究が進んでいるでしょうけれど、
当時の考え方もなかなかに興味深いものです。



幸せも恐怖も、その感覚は
神経回路を突っ走るもの。

野球の内野手が 
打球を取ってすぐファーストに投げることを繰り返すことで 
反射的に 素早く動けるようになるのに似て


幸せの回路も
繰り返し使うことで、
機敏に動くようになっていくのではないでしょうか。


誰かの絶頂体験の話を聞いていたら、その刺激で
自分の絶頂体験に気づくようになる・・・。
誰かの幸せな話を聞いて、自分も幸せを思い出せたらステキ。


いますぐ幸せな人に会いに行きたい!!


私の中に、ムクムクとそんな思いが湧いてきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?