眼鏡が好きになるまでの話
眼鏡の思い出
詳しい年齢は覚えていないけど、小学校の低学年ぐらいから視力が低下しはじめた。その頃から眼科に通っていた記憶があったからおそらくこの頃からだと思う。
保育園に行っている時に、お父さんが家庭でコンピューターゲームができる「ファミコン」を買ってくれて、家ではもっぱらゲーム三昧だった。
小学校に上がったばかりの頃、親からファミコンは1日1時間までと決められたから、相当やっていたのだろう。視力が下がったのはゲームのやり過ぎなのだろうか。お爺ちゃんもお父さんも目が悪く眼鏡をかけていたから遺伝の可能性もあるが、ゲームはそれに拍車をかけたのかもしれない。
僕の通っていた小学校は全校合わせても100人もいなかった。僕の同級生は14人。当時誰一人として眼鏡をかけた子はいなかったが、ある日とある男子生徒が目が悪くなったということで眼鏡をかけて登校してきた。
眼鏡をかけた子がクラスのみんなからイジメとまでは言わないが、眼鏡のことを色々言われていじられていて、その光景を見て眼鏡に対して良いイメージがあまり無かった。
目が悪くなったらあんなモノを付けないといけないのか・・・と、そんな風に思っていた。
学年が上がるにつれて黒板の文字が見えずらくなってきた。
毎回通う眼科や毎年の身体測定でやる視力検査が嫌いになり、不安で不安で仕方がなかった。
これはもしかして僕も眼鏡をかけないといけないのかと。
僕の記憶が正しければ小学校5年生ぐらいだろうか。とうとう眼科の先生から眼鏡を作った方がいいと言われた。
ああ、ついにこの時が来たか・・・。
僕にとって人生初めての眼鏡を作ったけど、まだ眼鏡をかけて学校に行く勇気が無かった。授業中勇気を振り絞って眼鏡をかけてみた。でもクラスのみんなに特別いじられたり何か言われた記憶が無いので、自分の気にし過ぎだろうと思っていたが、ある日体育館でみんなでドッジボールをして遊んでいた時、ボールが見えずらかったので思い切って眼鏡をかけてみた。すると一緒に遊んでいた後輩の子たちから「わー、眼鏡や!たくま君眼鏡かけるんや!」という声が湧き上がった。
馬鹿にされたりしていたわけではないけど、おそらく自分は皆んなから注目されるのが恥ずかしくて、常にそっとしておいて欲しい性格だったからなのかもしれない。皆んなから注目されたことで、より眼鏡をかけたくない、眼鏡は恥ずかしいと思い込んでしまった出来事だった。
その日から、授業中も眼鏡は常にかけず、黒板の文字がどうしても見えない時だけ眼鏡をかけるようになった。
***
中学生に上がっても、視力は落ち続ける一方だった。
思春期のせいか、眼鏡をかけるということが一段と恥ずかしさが増して、授業中も出来る限り眼鏡をかけずにやり過ごした。
黒板を目を細めてみたりして何とかして文字を追いかけていた。
だけどここで致命的なことが起きた。
部活はテニス部に入っていたのだけど、だんだんボールが見えなくなっていった。
特に曇りの日は最悪で、ラリー中、ボールを見失うことが多々あった。ペアを組んでいた相方によく怒られていたので、いよいよ部活中眼鏡をかけざる終えない事態になったのだ。
始めて部活中に眼鏡をかけてテニスをしたのは中学2年生の終わり頃だったと記憶している。部活の顧問の先生に「なんやお前、目悪かったんか?今まで何で眼鏡かけやんだんや!」と呆れていた。
それ以降、授業中と部活中は眼鏡がをかけるようになったが、特に誰にもいじられることなく、残りの中学生活を過ごした。
近眼の乱
高校生になっても、相変わらず授業中しか眼鏡をかけていなかった。
そんな中、ついに事件が起きた。
他の人からしたら大したことのない事件かもしれないけど、僕にとって今後生きていく中でずっとフラッシュバックする重大な出来事だった。
1年生の体育祭の時。
同じクラスの友達と運動場をぶらぶら歩いている時、中学校の時に同じクラスだった女の子に「たくまくん」と声をかけられた。
その時もちろん眼鏡はかけていない。
声を聞いてその女の子だとすぐに分かった。名前を呼ばれたのは聞こえていたのに、目が悪すぎてどこから呼ばれたのか分からなかった。
そして、聞こえないフリをしてしまった。
無視してしまったのだ。
僕は当時から極度の人見知りでコミュニケーションを取るのが苦手で、喋り下手で自信が無い人間だった。恥ずかしがり屋さんだった。
名前を呼ばれているのにどこにいるのか、どこから呼ばれているのか分からない。
目が見えていないのが恥ずかしい。
変なプライドが邪魔をして、聞こえていないフリをして隣の友達に話しかけてその場を立ち去ろうとしてしまったのだ。
そしてその女の子から
「前はそんな人じゃなかったのに・・・」
という悲しそうな声が聞こえた。
終わった。人間終わった。僕はなんて事してしまったのだろうと無視してしまった罪悪感の嵐に襲われた。
それからというもの、その女の子に完全に嫌われていると思い込んでいて、電車の駅や校内で会うたびに、ビクビク怯えていた。
大人になってからも、その出来事がたまにフラッシュバックする時がある。
どこかで偶然出会えたなら、ちゃんと理由を話して謝りたいと思っている。
今なら謝れるはずだ。
***
そんな事件もあり、いよいよ考えなくてはならないと思い始めた僕は、コンタクトレンズを付けるという作戦を思い付いた。
眼鏡が恥ずかしいなら、コンタクトレンズにすればいい。当時、目の中にレンズをはめるなんて怖くて考えてもいなかったが、もうこの方法しかない。
かくしてコンタクトレンズを作りたいと親に告白して、眼科へ連れて行ってもらう事となった。
初めてのアイウェア
高校卒業後、すぐに就職して会社員として働いていた。
これから定年まで働いて、平々凡々な暮らしが待っているのだ。
そんなことを思いながら、日々の業務をこなしていたある日、眼鏡を好きになるきっかけとなる出来事が起こった。
それは、シンガーソングライター「つじあやの」との出会いであった。
これを読んでいる皆さんは、まさかここでつじあやのが登場するとは思ってもみなかっただろう。つじあやのファンになったから今まで散々嫌っていた眼鏡をかけたくなっただなんて。
いやはや恥ずかしくも全くもってその通りなのです。
眼鏡はお洒落なファッションの一部でもあるのだと教えてくれたのがつじあやのさんでした。いわゆるアイウェアという言葉もその時知りました。
ある時、テレビ番組でつじあやのさんが原宿にある行きつけだという眼鏡屋さんで眼鏡を買うという企画の番組を目撃しました。
そのお店はOpticien Loyd(オプティシァンロイド)という眼鏡専門店。
なにやら都会にはこんなにお洒落な眼鏡のセレクトショップがあるのかと、興味津々で見ていました。
***
テレビでアイウェアの存在を知ってから、本屋さんで眼鏡の専門雑誌「モード・オプティーク」を買ったりしてアイウェアについて調べ始めた。
三重県の眼鏡屋さんを周ったが、オプティシァンロイドのようなお洒落なお店が見つからず、やっぱり都会に行かないとあんなお洒落な眼鏡屋さんは無いのかな〜と途方に暮れていたそんなある日、東京で働いている同級生から「東京に遊びに来ないか?うちのアパートに泊りにおいでよ。」というお誘いの連絡が来た。
これはチャンス!
つじあやの行きつけの眼鏡屋さんに行ける!
友達には悪いけど、僕の頭の中は東京で友達と遊ぶ事より、眼鏡屋さんに行く事で一杯になっていたのです。ほんとごめん。
***
東京の友達のところへ遊びに行く日、その日の夕方に池袋駅で待ち合わせという事だったので、昼の間は自由行動だった。
新幹線で東京に到着し、早速第一の目的である原宿に向かうことにした。
原宿の竹下通りの人の多さにビビりながら憧れのオプティシァンロイドに行ってお洒落な眼鏡たちを吟味することが出来たのだ。
「ここがつじあやのも来ているお店なのか〜」っと田舎者丸出しでキョロキョロしながら、気になる眼鏡を手に取り試着していった。
いかにもファッションですよというような派手な眼鏡もあったのだが、アイウェア初心者の僕にはまだ手を出す勇気がなく、最終的に選んだ眼鏡は、かなりオーソドックスなごく普通のセルロイドの眼鏡であった。
でもオプティシァンロイドのオリジナルのアイウェアだったので、このお店の名前が入っていることが嬉しかった。何より憧れのこの場所で眼鏡を買えることが。
ここで眼鏡を買うとなると、即日受け取ることができるのか疑問だったが、度が入っていないレンズなら翌日お渡しできますよと言われ、三重県に帰る前に受け取ることができた。
よし、これで一歩つじあやのに近づけた。
僕は一体何を目指しているんだろう・・・
眼鏡と共に生きる
初めて原宿でアイウェアと呼べる眼鏡を買ってから、三重県に居ながら他に近場で眼鏡のセレクトショップを探し続け、名古屋のモンキーフリップという眼鏡屋さんを見つけ、何度か通ってアイウェアを購入したこともあった。
そして、三重県でもついに行きつけの眼鏡のセレクトショップを見つけることができた。
松阪にある『glasstar(グラスター)』という眼鏡のセレクトショップだ。
グラスターに通い出してから、1年に一個のペースでアイウェアを買うほど行きつけのお店になっていた。買う予定がなくても新作が出ていないかチェックしに行ったりした。
試着しては次はどんな眼鏡を買おうと楽しんでいた。
グラスターでアイウェアとして初めて買ったJAPONISM (ジャポニスム)をはじめ、alain mikli (アランミクリ)やYELLOWSPLUS (イエローズプラス)、FACE a FACE(ファース・ア・ファース)など今まで購入してきた。
もちろんレンズは度無し。
何と言っても、僕はど近眼なのでとにかく度が入るとレンズだけの値段でもかなり高くなってしまうのです。
一本でも多く眼鏡を買う為に、今まで買った眼鏡はほとんど伊達眼鏡です。
眼鏡をあまり良く思っていなかった小学生時代から、眼鏡自体に興味が湧いて東京まで行って伊達眼鏡を買うまで20年弱。
まさかここまで行きつけの眼鏡屋さんができるほど眼鏡が好きになるとは夢にも思っていなかった。
将来、自分のカフェの店名に「めがね」という単語を入れるなんて誰が予想できただろう。
今日もコンタクトレンズを入れつつ度無しの眼鏡をかけてお店に立っている。
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