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誰も好きになりたくないし好きになってくれるな / ノンセクシャル

ノンセクを自認したと言えど
人間だからやっぱり誰かをいいなと思ったりする時期がある



私は元々オーガニックな出会い派で

昔マッチングアプリを使ってみたこともあるけれど、やっぱり自分には合わなくてすぐ退会した
(もちろんマッチングアプリはきっかけとして特別良い手段だと思っている)


日常の中で少しずつ湧き上がってくる「いいな」が、どんどん濃くなっていって「好き」になる
少し前まではそれが私にとって“普通”の恋の始まりだった


ノンセクシャルを自認してから
魅力的な人が現れると自分にブレーキをかけている
「SEXできない自分と付き合う人なんていないよ」
腑に落としたはずの概念が揺らぐ


好きになっても、たぶん、叶わない
両想いだとしても、たぶん、付き合えない



ただ好きでいることに意味があるなんて、綺麗事じゃないですか?
本当は誰かの特別になりたいんだから


羨ましい
何の躊躇いもなく、他人を好きになれることが
大枠の中にいられて
大多数の側にいて
「誰にも説明する必要のない人生だったら良かった」なんて言葉とは無縁な、むしろそんなフレーズに共感できない世界観の中で生きていることが

恋愛とSEXはセットだよ、と疑う余地のない本能も
「好きなのにしたくないなんておかしいよ」と人に言ってしまえるようなおめでたい脳味噌も
全部全部くそくらえ


自分に好意を抱いてくれている人
SEXできないって言ったら付き合いたいなんて言わないだろ?
だったら最初から好きとか言ってくれるな



こんなに思考が過激になっているのはきっと
気になる異性がいるけれど気持ちが育たないようにしている弊害かもしれない

どうしようもないことも含めて「自認」したと思っていたのに
折り合いがつけられてないじゃん、とへこんでいるのだ


今後もこんなことを繰り返していくのか
もしそうなら
特別なんて望みたくない
誰のことも好きになりたくないよ


ずっとずっと頭の中でそんなことがぐるぐるしてるのに
気になる人とシフトが被ってて、顔が見れて、話せたら、
心がぽわっとしてしまう

こういう気持ちを大切にしたいと思うのに
自分が願う程人生は甘くない模様



どうにかしようとしても、どうにもできない


明日もまだ、落ち込みながら生きるだけ



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