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いつかの底辺だった頃の場所

今日はここのところのやけに実践的な指南書とは趣向を変えてマインド的なことを書いていきたいと思います。

35歳になって初めて正社員(それまでは10年以上塾講師のフリーターでした)として大手の学習塾に就職した私には早速副教室長という肩書がつきました。一見立派な肩書ですが、そこの塾は基本、教室長以上が正社員であとは時間給のフリーターや学生が占めていました。


その中での副教室長というのは、つまり「次期教室長になる人の研修期間」ということでしたが、私の場合もっとズバリ言いますと完全なる「雑用」をさせられていました。だいたい2週間くらいしたら、すぐにどこかの教室長に就任するということがスタンダードだった正社員の中において5か月間どこにも配属されずに「幡谷(新宿)、方南町(杉並)、池尻大橋(目黒)」の教室を転々と回っていました。


業務内容は講師と生徒との時間割(個別指導塾でした)作り、月謝明細の計算、封筒への宛名書き、近隣へのチラシポスティング、講師不足のときの臨時の授業(←これだけはこちとら10年以上講師やってきたものでお手の物でしたが)、掃除etcをやってました。


半年近く経ってからようやく山梨県大月の新規教室オープンに際し、大月教室長に就任(ぶっちゃけ左遷だったと思うのですが)、自分の教室として任されたという喜びとやりがいを大月教室では見出すことが出来ました。


でも、そこまでの、この副教室長の「たらいまわし」のような期間はなんだか本当に毎日がつまらなかったのを覚えています。池尻大橋教室から実家(八王子)に帰る際には毎日終電で渋谷で乗り換えるので渋谷の終電近辺は朝のラッシュと同じくらいの混雑・・・いやそんなことは実はどうでもいいのですが、それよりなによりとにかく「どこにも居場所がない」という自分の存在が辛かったのです。


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