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Vol.6「なんで横浜なのよ?」

珈琲屋をやりたいなぁ、とか立地はここで、みたいなことを今まで述べてきた。
そして俺の思考パターンにそろそろ気づいてる人も多いと思う。

そう、まず最初に「コーヒーが好きだから」「白楽の商店街が気に入ったから」という、子供みたいな発想がまずあって、実はそれが全てでありながら、その後、俺は何かと小心者なので、自分への説得材料として、そう、融資先とかよりもずっと重要な、自分自身への説得材料として、なるべく多くの裏づけ、いや精神的安定がほしいのである。

ある脳科学者が以前、「直感」っていうのは凄いもので、膨大なデータや莫大な数の試行錯誤に匹敵する、みたいなことを言ってた。
すごく頷ける話だ。
「直感」は無意識のうちに、実はその人のこれまでの人生の行動・思考・統計、全てが一気に、偏り無く、総動員されてるはずだから。

珈琲にせよ、白楽っていう場所にせよ、最初は「好み」と「直感」である。
しかし、とはいえ直感だけで突き進むほど俺はダイナミックな人間じゃない。
直感の重要性はメチャクチャ感じていながらも、それだけでやっていくと絶対に精神的に不安になる。
空威張りや強がりなんか何の意味もない。
不安要素を一つ一つクリアーにしていき、直感の正しさを証明したかった。

「不安」や「恐怖」っていうのは、元来、見えない闇の中で感じるものだったりするんだと思う。
パッと明かりを照らしてあげれば、一人置き去りにされたその場所は、よく見るとホテルのスウィートルームかもしれない。
いや、何の魅力もない、どんよりした場所なのかもしれない。

でもそれがわかった時点で、そこは「どんよりした場所」ということがハッキリしたわけで、もはや「不安」や「恐怖」の場所じゃなくなる。
闇の一つ一つに明かりを照らしてあげる、これ以上に俺の精神が安定することはない。

さて、激しく趣旨がズレてきてることはもちろん気づいている。
なんで横浜なのか?だよね。

今回、散々「裏づけ」だ「明かりを照らす」だ言ってきたが、横浜であることにこれらビジネス上の裏づけや根拠なんぞ一切ない。
また裏をとろうとも思わない。
このあいだ、東横線に乗ってたら、横浜のホテル連盟か何かの宣伝文句で、「大切なときはいつもここにいた」みたいなのがあった。
人によってはこれは陳腐な商業用コピーに映るかもしれない。
でも俺からするとたぶんこのコピーは、俺の横浜好きな理由を見事に言い当てている。

本当の最初の最初は単にお洒落な街(もともと俺は函館、神戸、長崎のような異国情緒のある港町が好きである。勿論全て実際に行ったことがある。)だなぁっていうのがあり、横浜に足が向かったんだと思うが、それからというもの、何か特別なこと、記念日的なこと、それらのことごとくに横浜に行くようになっていた。

そしてこれが何年も何十年も(事実既に20年以上がたっている)積もり積もってくると、もう大変である。ただでさえ好みの場所に思い出(しかもいい思い出ばかり)の塊が、幾重にも折り重なった日にゃ、故郷すら吹き飛ぶ(もともと俺は生まれは東京なんだが、以降は転々としているため、そもそも故郷の認識が甘い)。

もう十年以上も前から、「将来俺は横浜に住むから」っていう俺の公言を聞いたことある人も多いかと思う。

よく「ハワイ大好き人間」とか「中国三千年!」とか「ブラジル最強(?!)」とか、どこそこの国にかぶれてる人っていると思う。
そういうのと何一つ違わない、同じ次元で、俺は横浜が好きなのだ。

思い描いた夢っていうのはなかなか実現しない。それはわかってる。
でも「将来、俺は横浜に住む」これは確かに夢といって間違いなかった。

現在、なんとその夢はかなってしまったのだ!

山下公園にチャリ(しかもママチャリ)で行ってみたり、毎年恒例の年越しカウントダウンも、今回は宿もとらず、山下公園や中華街や港の見える丘公園を手ブラで歩いてたりする時、ひしひしと勝手に感動している俺がそこにいる。

なんだか子供の作文みたいになったんで、次回はもっと大人な(?)感じで、ガチガチにマーケティング調査や客層ターゲット分析の話なんぞを・・・。

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