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俺と親父の物語

尊敬という言葉

僕は仕事柄、色々な人を見てきた。
クソみたいな人も、めっちゃいい人も見てきたが、あまり好きではないのが、調子よく「〇〇さんはすごいです!私、〇〇さんを尊敬しています!」というフレーズを連発する奴だった。
接客しながら「よくそんな誰でも尊敬できるよなー。」と内心いつも思ってた。

そんな僕が唯一尊敬している人物がいる。

それが親父だ。

ウチの親父

親父は昭和一桁生まれの87歳。
僕は47歳の時の子供だ。

親父は生まれてすぐに母を亡くし、姉が母代わりだったそうだ。
僕の祖父でもある親父の父親は、クレイジーな人だった。
バツ5で、親父には腹違いの兄弟も沢山いたそうだ。
親父の生家を銀行の担保に入れ、当時の1000万円を持って小倉競馬に行き、盛大に負けて家ごと取られた。

親父は祖父の借金を背負い、借金を返すまで結婚しなかったらしい。
マイナスからのスタートだったのに、僕や弟を何不自由なく育ててくれた。

会ったこともない芸能人や、巷に溢れている自称成功者なんか尊敬できるか?
僕の目の前には、目の前の現実から逃げずに戦って勝った、勇敢な親父がいるのだ。

親父の物語

なぜこんな話をポストしたかというのは、おそらく親父はもう長くないからだ。
80を超えたあたりから体にガタが出始め、9月のダービー前夜祭の日に脳梗塞で救急車に運ばれた。
脳梗塞は大したことなかったが心臓に血栓が見つかり、87歳にして7時間もの心臓手術をした。
やはり、そこから一気に体力が落ちた。

今目の前にいる親父は、子供の頃の休まず働き、酒を飲み、偉そうに人生を語る親父ではもうない。

もう親父の人生はエピローグに入ったのだ。

エピローグとプロローグ

突然いなくなってしまうより、終わりが見えてる方が時間も作れていいのかもしれない。
僕が子供の頃は働きまくって、親父が仕事を辞めた時は僕が働きまくっていた。
今やっと時間や余裕もできて、親父の仕事場が僕の仕事場になり、親父が遊びにきてくれている。

親父の人生のエピローグには、僕のことが沢山書いてあってほしい。
あのたくましい腕が、か細くなった今こそ僕の腕を借りてほしい。

そんなことを思うのももう僅かなんだろうな。

今度が僕が親父になる時、まだ親父は生きてくれているだろうか?

願うなら、僕が人の親になるプロローグに親父もいてくれたら嬉しいな。

子供に胸を張って、「お前のおじいさんはすごい人だったんだよ。」と言えるように。

そして子供に尊敬されるように、親父の小さくなった背中を胸に刻んで生きていこうと誓おう。

これからたまに、親父との時間を書いていこうと思う。

親父と僕との、最終章が始まったのだ。



もしこれを読んでくれたお客さんが、店でコーヒー飲んでる親父を見つけ、声をかけてくれたらこんなに嬉しいことはない。

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