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読書嫌いが【noteを書く理由】

読書は苦手だ。
眠くなってしまう。
読み終わるまで
興味をキープできない。

逆に人の話を聞いたり
しゃべるのは大いに好きだ。

カフェにやって来る
外国人のお客様も少なくない。
ハリボテな私の英語力でも
通じると、なんだか嬉しい。

会話のキャッチボールで気持ちが通じ合う。
一緒にひとつの事を成し遂げたようで
「嬉しく」なる。

しかし、思いを伝える方法として
「話して伝える」は最善の方法だろうか?

口から発した言葉自体は後に残らず
形の無いものだが
目、表情、声の大きさ、身振り…
情報量は豊富だ。

一方、「書いて伝える」というのは
話す言葉をそのまま書いても
情報を伝えきれない…
文章は長くなり、考える時間も要する。
乱筆問題、フリック入力の手間など
どうしても面倒に感じていた。

考えてみれば
「伝言ゲーム」というものがあるように
口頭で伝え続けるのは限界がある。

仕方なく私はここで
「書く」という作業に向き合ってみる。

手始めに、書く目的を変えてみた。
例えば「気持ちを伝える」から
「記録として残す」に。

話すより文章を書いた方が
形として残り
たくさんの人に伝えられる。

何度でも読み返せるなど
メリットが多いことに気づき
伝達媒体として
話すより優れていると分かった。

次に目的をワンランク上げて
「伝わりやすい記録」としたらどうか?
これは難しい。
文章の質を上げることが必要だ。

LINEトークほど短すぎないが
無駄を省き必要なことをシンプルに伝え
読み手がどう感じるか考えられた表現…

待ってくれ
これができてこそ
本当にスマートな大人じゃないか!

ましてや書籍化されるような文章なら
途方もなく作者が考え尽くした
表現になっているのだろう。

「それなら私も!」と
noteで奮闘し
いろいろ気づかされる。

キレイな文章を作る作業は
頭の中の「引き出し」に
「考え」や「気持ち」を整理整頓する。
余分なものを捨てる感覚に近い。

書き出すというアウトプットで
過密な頭脳ハードディスクに
新しいことを取り入れる余裕が生まれる。

つまり
誰かに読んでもらう以前に
「キレイな文章を書く」ことは
自分にとって価値があることだ。

書くことの素晴らしさを知り
作者の思いを推察しながら読むという
新しい魅力も発見した今の私なら
愛読書と呼べる一冊に出会えるかもしれない。


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