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タリバンに祖国を追われた家族…映画「ミッドナイト・トラベラー」

 ISがイラクで、宗教的少数派への攻撃をいっそう激化させた2014年。迫害を逃れるため、人々はトルコを経てヨーロッパへ押し寄せた。

当時、世界の関心は、イラクやシリアで暴虐をふるったISに注がれたこともあって、タリバンの復権がじわじわと進んでいたアフガニスタンの問題には、相対的に人々の注目は集まらなかった。だが、欧州を目指した避難民の中には、相当数のアフガニスタン難民も含まれていた。

タリバンは、アフガニスタンで1990年代初頭、イスラム神学校の学生を中心に組織化されたイスラム武装組織。1996年に首都カブールを占領し、政権を樹立するが、5年後の2001年、米同時テロを実行した組織「アル・カーイダ」の指導者ウサマ・ビンラーディンの引き渡しに応じなかったとして、米国が大規模な攻撃を開始し、タリバン政権は崩壊する。

政権の座にあったタリバンは、女性にブルカという全身を覆う衣装を着るよう強制したり、国内少数派のイスラム教シーア派ハザラ人を迫害したり、彼らの考えるイスラム教の戒律を押し付けるなどして、国際社会から批判を浴び続けた。政権崩壊後もタリバンは、駐留米軍の掃討作戦をかいくぐるように、南部を中心に勢力を維持してきた。国内にはタリバンを支持する人々もいたが、恐怖や反発を感じる人も多く、実際に迫害を受けた人もいた。

映画「ミッドナイト・トラベラー」は、そうしたタリバンの影響が強まっていったアフガニスタンを離れ、欧州を目指した映像作家ハッサン・ファジリの実体験。ハッサン一家の苦難の逃避行を自ら撮影した作品だ。タリバンは、アフガン国営テレビで放映されたハッサン制作のアフガンの平和に関するドキュメンタリー作品の内容に不満を抱き、作品に出演した男性を殺害、ハッサン自身も死刑宣告を発したという。

雪降る屋外での野宿生活。悪らつな「密航仲介業者」。通過国政府の冷淡な対応。ハッサン・ファジリが撮影した映像は、欧州を目指した中東・アフリカの人々の多くが味わった体験と重なるものだ。2010年に始まった「アラブの春」にともなう紛争・混迷で、欧州を目指す難民は激増した。

映像作家であるハッサンだからこそ、こうした自身の体験を映像作品として完成させることができた。ただ作品は、協力者の存在なくして完成しえなかったことも確かだ。米国在住の中央アジア映画を専門とする映画プロデューサーや、カブール在住の映像作家などが製作を支えた。

着の身着のままで逃れたハッサンには、十分な機材がなかった。パソコンも持っていなかったので、撮影した映像をいれたSDカードをハッサンが、プロデューサーが手配した協力者に渡し、米国に発送してもらったという。リアルな形で難民問題を世界に問いたい、という人々の思いが作品によって結実したといえるだろう。

映画は米同時テロから20年を迎える2021年9月11日から、東京「シアター・イメージフォーラム」など全国で公開が始まる。



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