見出し画像

カフェバグダッドと日本SNS発展史②--ブログその2

ブログの時代②

ブログというメディアは、現在、「推し活」などと呼ばれるようになった、言い方はキツいが偏執的ともいえる個人の活動を後押しするツールになった。その流れは、その後のSNSの発展でさらに加速する。

初期のカフェバグダッドの活動も、「推し活」といってもいいものだったかも知れない。「アラブカフェ推し」である。

カイロに住んでいた時、地元、あるいは出張先の中東の街でカフェに通った。自然、水タバコも覚えた。男性中心ではあったが、多くの市井の人たちとの語らいの中から、その国、街を知る手掛かりが得られた。

地域によってカフェのスタイルが違ったのも面白かった。そうした体験を、カイロの日本人会の機関誌に寄稿したりもした。

そうした体験を経て日本に帰国。楽しかった体験を日本に暮らす人たちに、日本で味わってもらうことはできないか。そうした中から、日本での中東世界への関心を喚起することはできないか。カフェバグダッドを立ち上げた大きな動機になった。

まずは、カフェを借りて、トークイベントをやろうと考えた。幸い、東京・東北沢の「現代ハイツ」というカフェが、興味を示してくれた。カイロのイスラム地区にある「ハーン・ハリーリ市場」で買ってきた、水タバコ器具約10台を持ち込み、来場者にシーシャを吸ってもらう、という企画だった。2004年7月に開催したトークショーは、エジプトのポップス音楽に詳しい現甲南大教授の中町信孝さんに出演してもらった。最初のイベントだけあってバタバタ進行で、写真を一枚も撮影していないのが悔やまれる。下の写真は、2004年12月に開催した3回目イベントの様子。

2004年12月に行ったイベント

回を重ねるごとに、改善されていったのだが、初回は半地下の会場に煙がかなり充満し、「アヘン窟みたいだった」という感想もいただいた。それでも、おおむねうまくいったと考え、イベントを続けていくことになる。

カフェ「現代ハイツ」作成の案内チラシ

同年6月に開設したブログは、イベントの告知宣伝に大きな役割を果たしていくことになる。紙のチラシやDMハガキなど、旧来の手段も併用しながらではあったが、メディアとしてのブログの存在感の大きさを強く実感することになった。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?