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戦火にほんろうされるシリア人の苦難……映画「葬送のカーネーション」

暗い灰色の雲が垂れ込める荒涼とした草原地帯を走る車の上には、木製の棺が載せられている。冷たく、湿った空気が伝わってくる冬の光景。一般の日本人がトルコに抱くイメージとはかなり異なるが、実際、この映画の舞台であるトルコ(アナトリア半島)南東部も冬の季節、寒さがかなり厳しく、雪も降る。映像のような暗く陰鬱な天候の日は実際に少なくない。

作品は、内戦下のシリアから家族ともども隣国のトルコに逃れた老人ムサが、トルコに避難している間に妻を亡くし、孫娘を連れて遺体をシリアに連れ帰ろうとする道中を描いたロードムービーだ。2010年末に北アフリカのチュニジアで始まり、中東各地に広がった「アラブの春」と呼ばれた民主化運動。翌年、それはシリアにも波及し、政権と反体制派・外国勢力との間の内戦に発展する。死者は40万人以上とも言われ、国外に逃れた避難民はシリアの全人口の約3割にのぼる600万人超、その半数にあたる300万人以上が向かった先が隣国のトルコだった。

筆者は昨年6月、トルコ南東部の都市ガジアンテップを訪れたが、中心部近くに、シリアからの避難民が暮らす巨大な「シリア人街」ができていた。今年2月にはこの南東部で大地震が起き、シリア・トルコ両国で5万人以上が死亡した。シリアの人々は今、内戦と震災という二重の苦難にみまわれている。

ムサと12歳の孫娘のハリメは、内戦で犠牲となったシリアの庶民の典型と言える。避難先の国でシリア人たちは「厄介者」として扱われ、肩身の狭い思いをしている者も多い。道中、2人がトルコ人たちから受ける処遇は、そうした差別の現実を示している。

ハリメの表情はいつも暗く、変化に乏しい。シリアでの内戦の体験が、トラウマとなって今も彼女にとりついていることを示す。スケッチブックには、軍用機や、列になって黒い影のように進んでいく避難民たちが描かれていることでもそれが分かる。

ハリメにとってシリアは、戦争の記憶を呼びさます、辛い思い出に満ちた土地だ。幼い少女にとって、避難先のトルコで過ごした時間の割合はかなり長い。すでにトルコ語も話せるようになっている。シリアへの愛着も祖父ほどは強くはないのだろう。対してムサにとってシリアは、人生の大部分を過ごしたかけがえのない故郷だ。亡き妻と一緒に帰郷を果たしたい、という思いは強い。そうした世代の異なる2人の意識のギャップが、旅をぎくしゃくさせる原因にもなっている。

重い棺を、時に引きずるように運び、時にヒッチハイクを試みながら、黙々とシリアを目指していく旅の道程は、まさに内戦の中で経験してきた多くのシリア人の人生と重ね合わせることができそうだ。

結末も、現実世界さながらに救いがなく悲しい。国境まであとわずかという地点で、トルコの憲兵隊に許可なく遺体を運んでいることが露見してしまう。遺体は国境を越えられず、トルコ側の墓地に埋葬されることになる。「どこに埋めても地面は同じ」と憲兵隊は言い放ったが、ムサの心は、それとはまったく逆の思いだっただろう。

火葬が一般的な日本とは異なり、この地域では、多数派のイスラム教をはじめ、遺体はそのまま土葬するのが常識だ。映画では「妻の遺言」という設定ではあるのだが、遺体を故郷に埋葬したいというムサの気持ちは、この地の人々のごく自然な思いだといえる。埼玉県川口市には、このトルコの少数民族でこの地域出身のクルド人が多く暮らしているが、彼らも日本で家族を亡くした時には、相当な輸送費を払って、航空便で遺体を故郷に送り返す、という話を聞いたことがある。

埋葬のシーンで、クローブを棺にまくシーンがある。クローブとは、トルコでもよく用いられる香り高いスパイス。死から日がたった遺体から発する臭いを消すためのものなのだろうか。あるいは、まじない・呪術的な意味合いがあるのだろうか。いずれにせよ、謎めいて示唆的だった。

「葬送のカーネーション」は、「新宿武蔵野館」や「ヒューマントラストシネマ有楽町」などで公開されている。

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