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カフェバグダッド年代記①--アラブ式カフェ開店の野望

昨年末から、「カフェバグダッドと日本SNS発展史」という記事を7回に分けてアップした。これは、2004年に、中東を日本に紹介するために創設した「カフェバグダッド」という団体の20年にわたる歴史の振り返りの一環だった。

もちろん、SNSという側面からの振り返りは、あくまで一側面にすぎない。このシリーズでは、「カフェバグダッドの20年」の活動の中核をなす、イベントについて、記していきたいと思う。

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「カフェバグダッド」という名称を思い浮かんだのは、2003年にはじまった「イラク戦争」後のバグダッドだった。知人の写真家と、水たばこを吸いながら雑談をしている時だった。

2000年の夏に日本の新聞社の「中東特派員」として、エジプト・カイロに赴任して3年あまり。任期を終えて、日本に帰国する日が近づいてきた頃だった。

カイロ駐在の3年半のあいだ、アラブ世界の各地で、どれほどカフェに通ったことか。カイロの事務所で、原稿執筆に行き詰った時、水たばこ(シーシャ)を吸って気分転換を図ったことも数限りない。(冒頭のヘッダー画像はら当時通っていたカイロのカフェ)。

出張先の各国で、取材相手や友人・知人と一緒に行ったことも多かった。その国に暮らす普通の人々の表情や、街の空気感を感じることもできた。元々、日本の喫茶店・カフェ愛好者でもあった私がはまったアラブ式のカフェを、日本で再現したい、という思いが「カフェバグダッド・プロジェクト」のそもそもの発端だった。

命名に深い意味はないが、誰もが知っていて、美しい響きの言葉をあれこれと考えて、イラクの首都の名前である「バグダッド」に決めた。もちろん、何度も通ったバグダッドのアラブ式のカフェの雰囲気の良さにあやかりたい、という気持ちもあった。

バグダッドにあった「ウンム・クルスームカフェ」

2004年3月に帰国した。アラブ式カフェ開店の「野望」は変わらなかったが、実際にはそう簡単なものではなかった。本格的な店舗をオープンさせるとなると、多額の初期投資が必要だし、誰が店の運営を行うのか、という問題もあった。「カフェ開店は当分先になるかな」、と思い始める一方、
「とりあえず、どんな形であっても、始めるべきではないか」とも思った。そこで、単発のイベントでアラブ式カフェを再現したらどうか、と思うようになった。(続く)

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