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パッケージのメディア性と記号化

前回の話が堅かったので、今回は少しだけ柔らかくして、商品パッケージのメディア性や記号化について考えてみたいと思う。
時折、上記の視点でコンビニにおいてどのようなパッケージが優れているのか?を観察しているのだが、その中でもいつも感心させられるのが「缶つま倶楽部」シリーズだ。

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「缶つま」ブランドの記号性

まず、ブランド名の記号性から考えてみたい。
当然、缶詰のつまみだから「缶つま」と命名されたと思うが、そもそも「缶詰」は、どちらといえば料理の素材としての意味が強い。例えばツナ缶、カニ缶は味もついてないのでなにかしらの調理が必要だ。
味付きのものも、サバ缶のように素材名として表記されるものは素材感があるが、やきとり缶になってくると料理としての側面が強い。

その中でも「缶つま」はブランド名として「お惣菜」の記号性を具えている。「つまみ」とは完成された料理であり、それが缶に保存されるという新カテゴリーを打ち立てている。
コンビニ内で競合となる「お惣菜」はパック入り、もしくは袋入りだ。それらと比較して「缶」には「保存」という記号性を具えており、利便性の観点で優れているのは明白だ。

そして、「缶つま」の記号性をさらに高めているのがパッケージのメディアフォーマットだ。
外箱デザインは缶を空けた姿を真俯瞰で捉えており、それは缶に入った状態でそのまま完成した料理であるという理解を促している。つまり、家で皿に盛ることなく、そのまま食べても美味しいことを明示している。
ちなみに冷凍食品のパッケージを見るとわかると思うのだが、その写真には湯気などの記号性を高めるシズル要素があり、レンジで温めれば美味しくなることが期待できるだろう。
冷凍食品では問題ないが、そういったシズル要素を缶詰パッケージに加えた場合、逆に「温める」手間を暗示し、ネガな記号性として跳ね返ってくることもあるから注意も必要だ。袋入りの総菜のキレイな盛り付けも「盛り付ける」手間を暗示していると言える。
それらとは逆の「手間のいらない体験」への期待をパッケージメディアのみで表現できているのは本当に優れている。

また、立てて置くフォーマットも秀逸だ。コンビニでは品出しやスペースの問題から手前に向かって並べておくことが求められるが、缶つまの場合「ブランド名が縦書き」「四角形」のため、従来の縦に重ねる缶詰の置き方に逆らって、コンビニ側の要求に直感的に答えている。

「ローソンセレクト」従来の記号性への挑戦

次の逆のケースも紹介したい。
それはリニューアルされたローソンセレクトの冷凍食品シリーズだ。

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このデザインはローソンブランドとしての統一という記号性を前面に押し出したメディアフォーマットだと考えられる。想起される記号性とは「雑貨」だろう。揃えたくなるような世界観で店頭→家庭の冷凍庫の中に新しいブランド世界を作り出そうという試みだ。

このパッケージへの評判だが、ミレニアルズ層中心に好評価な意見をTwitterなどで目にしたが、私は疑問を持っている。
今回この商品のウェブサイトがどのようになっているのかを改めて確認したのだが、パッケージの横に盛り付け写真を載せるというデザインになっていた。先ほどの例から考えを示すと「冷凍食品」としての記号性は低くく、それを奇しくもブランドサイトが明らかにしてしまっている。
冷凍食品としての一般的な記号性は「料理としての完成度」や「保存性」もしくは「保存料が少なそうという安心感」などがあるだろう。
このような従来の記号性を高めるメディアの役割をほとんど放棄しており、購入者は「ローソンの冷凍食品」という絞られた記号による論理的な購入が求められる。

商材カテゴリーごとに異なる所有体験時間

5月8日のnoteでも書いたが、私はデジタルネイティブ環境において「購入」とは所有体験のスタートであると説明している。
ブランディング/マーケティングとは、所有体験への期待感を高めるプレ体験であり、「興味」発祥のマインドを体験のスタートまで昇華させることを目的としているという考え方だ。

デジタル化以前の環境での「購入」は顧客にとっても「ゴール」の意味合いが強く「世間で有名な○○を購入した」という「認知ファースト」だったこととは違う考え方である。

「所有体験」視点から見た場合、コスメやサニタリー用品などは購入後も一定時間家に置いておく必要があり、体験時間が比較的長い。そのためにもパッケージに「雑貨」的な記号性を持たせることは所有体験への期待感を高める手法として有効だ。
しかし「冷凍食品」の所有体験はできるだけ短いほうが、顧客にとってもブランドにとっても幸せだ。なぜなら一般的に食品は新鮮なほうが美味しいからである。
そのためには、例えば「冷凍庫の中で見つけやすい」など、所有体験をできるだけ短くしたくなるような記号性を高める工夫をパッケージメディアに持たせることが冷凍食品として正であると私は考える。

ここまで読んで、この冷凍食品パッケージを批判したと感じたかもしれないが本当は逆である。このような従来の記号性への逆張りによる成功がどのように人に影響を与える、もしくは社会の変化を反映しているのかを期待しているし、その経過が興味深い。
今後、このパッケージが拡大・継続するのではあれば、改めてデジタルネイティブ環境での記号性について再考する必要がある感じた次第である。

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