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立場逆転

15年前、1人で子供2人を育てなくてはいけない状況になった時(その前からワンオペではあったけど。)私のプライオリティの第一位は、子供のこととなった。

兵糧攻めに遭おうとも、あちらの両親が色々とあることないことを言って、精神的な攻めをしようとも、そんなのはスルーして、とにかく子供達を守り、独り立ちさせるまで頑張ること。これが、私の親の務めだと思って頑張ってきた。

何があったかなんて、ここに書いたら、もう書ききれないぐらいあるので割愛🤣

でも、もし、1番キツかったことを一つあげるなら…下の子が、父親の取ってきた行動、言動に、精神的にダメージを受けたことにより、断続的に歩けなくなり、それにより、学校を休まなくてはいけなくなったこと。その彼の姿をただ、ただ、見守ることしか出来なかった、自分の不甲斐なさ、無力さを目の前に突きつけられたことだろうか。自分のことならいくらキツくても耐えられるが、子供のそんな姿を見るのは、本当に辛かった。

先日、お互いの休みが合う日に、彼と待ち合わせして、ご飯食べたりしながら、久しぶりに色々と話した。たわいもない話から、好きな野球とかサッカーの話、お互いの推しの話…普段あまり話すほどじゃないらしいんだけど、私がグイグイ引っ張って話すからか(笑)話し出すと尽きなくて(笑)。

「そう言えば、Twitter今年の秋で14年になったよ。」と私。「俺も13年かな。お母さんから教えてもらって始めたからね。今は殆ど見るばかりだけど。」ただし、話はするんだけど…元Twitterでは、お互いフォローはしてない。SNSは、お互いの場所であり、感知しないのが暗黙のルールとなってる。

「お母さん、高校の時、俺がオフ会とか行くのだけは、寛容だったよね。」「だって、自分も行ってるのに、子供にはダメって言えないじゃん🤣まぁ、男の子だったから…そこは出せたのかも。」と、こんな風に一緒に出かけ、ご飯食べに行けるようになるなんて、夢のようだなと心の中で涙ぐむ🥲

彼が中学生の時に、脚が痛んでは、歩けなくなることがあった。受験して通っていた中学まで、車で20kmぐらい。朝送り、一度自宅に戻り、仕事の用意をし(自宅で小さな塾開いていた。)夕方また迎えに行く。背がグングン伸びたので、成長痛だろうと病院では言われていた。その後良くなり、治ったかにみえた。

ところが、高校入学して…高2の時、夜中になると脚が痛み出して、眠いのに眠れなくて、這ってトイレに行くぐらいに歩けなくなる。色々調べても原因は分からず。精神的なものだろうと言われたが、治す術もなくて。カウンセリングも受けてみたが、改善されず。良かったり、悪かったりを繰り返し…父親にされたことが、今出るなんて。自分の人を見る目がない…選択の過ちを責めた。

夜中痛み出すと、一緒に起きて、好きなドラマとかコンサートのDVDとか見たりしていた。脚の調子がいい時は、学校の送り迎えをし、授業にも出たが…朝は起きらない日が多く、欠席や、遅刻、早退が、どんどん増えていく。家にばかりいてはと、一緒にスタバ勉に出かけ、お互いそれぞれ勉強するけど、学校には行けず、とうとう昼夜逆転となってしまう。

高2の後半は、特に学校を休みがちで、保健室のベットの上で定期考査とかを受けた。成績に問題はなかったが、体育などの実技系の授業の単位がどうしても足りず…脚の痛みの原因がわからない、病院の診断書がない休みは、ただのサボりとの認識を取る先生も多く、担任の先生とか、保健室の先生とか…進級の会議で、一生懸命に説得してくれたらしいが、結局、高2をもう一年することとなる。

留年が決まったと担任の先生から電話もらったのは、彼の脚の調子が良くなった高2の3学期の2月。学年末試験をクリアし、これなら留年はしなくても良いかなと親子で楽観的に捉えていた所だった。「仕方ないよ。」と、明るく振る舞う彼になんと声をかけていいかわからなかった。

高2の授業を今まで彼と学年だった子達と一緒にイチから受ける。同じ勉強をもう一度受けるのは、なかなか大変なんだよと、言っていた。

その年に留年したのは学年で4人。彼以外の3人は、途中で退学したと聞いた。同級生は、高3で受験生で、下の子も本来なら、高3の受験生だったはずなのだ。同級生の姿を見ながらの通学。退学せずによく一年過ごせたなと自分の子ながら感心する。自分だったら、退学せずにいられたかどうか…


留年した2回目の高2の一年を無事に終え、高3に進級。そして、迎えた高3の卒業式の日。卒業式が終わり、各クラスに戻り、卒業証書を担任の先生から貰い、挨拶していく。

下の子の番になり…4月生まれの彼はその時19歳。「僕、実は来月でめでたく20歳になるんですよ。」とちょっと笑い取りながら、「どん底に落ちて、ニートのような生活を一年してしまった僕の経験から一言。みんな頑張れと言いますが、頑張れない時は、とことん逃げてみて、逃げられるところまで逃げるという選択肢もあってもいいということがあることを覚えておいて下さい。」と話した後、「お母さん、4年間も学費払わせてごめんなさい。最近は、ぶつかることもあるけど、本当に感謝してます。」と最後に一言。この時の挨拶の録画は、スマホに残っていて、今見ても色々と思い出して泣ける😭


そんな彼も、今では、仕事に就き、自分でご飯代も払い、お茶とかは奢ってくれるまでになった。一丁前に、私の身体の心配をし、仕事で悩む私に
アドバイスまでしてくる…すっかり立場は逆転🙂

老いては子に従えというけれど…
まさしくそれを地でいく感じか。

あとは、遠目で彼を見守りつつ、自分のことをちゃんとやっていかねばと思って、帰ってきた。

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