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おかあさんといっしょ

幼いころよく遊んでくれた親戚のお姉さんが、懐かしい写真を数枚送ってくれました。
色褪せたそれらの写真は20~30数年ほど前のものと思われ、どうやら撮影年はまちまちだけれど、どれも親戚一同でお墓参りをした時のものでした。

まだ学生だった頃の姉やわたしも写っていたり、今はすっかり大人である若者たちが可愛らしいチビッコだったり、もう故人となった皆さんも元気に微笑んでいたりして、つい見入ってしまいます。

その中の1枚に、大きな麦わら帽子を被って墓石の前に立つ自分を見つけました。
やや眩し気に微笑むショートカットのこのオバサンは、まさに現在の自分。
「あれ? 最近お墓参りで写真なんて撮ったかな? こんな帽子持ってないけど」と、一瞬思った後に気づきます。
あ、これ、母だ……と。
ちょうど今のわたしくらいの年齢時の母。

親戚の皆様から「ちーちゃん(母)にソックリ!」と、それはそれは何度も言われ続けてきたこれまでのわたしの人生ですが、まさか自らも己と見紛うほど似ていたとは。
ちょっと骨盤が開いた感じのオバサン立ち姿までソックリ。

『ドラえもん』で、過去から来たのび太の先祖や未来から来たのび太の子孫が、のび太とまったく同じ顔で描かれていたけれど、あれとまったく同じ現象は現実でも起きるのですね。

試しに夫にこの写真を見せてみると、「マジで⁈ 同じ顔じゃん!」と驚き、「あなたの未来はもうわかった」とのこと。
母のような未来ならとくに文句はないけれど、現時点で若干わたしの方が老化が進んでいるような気もします。
写真の中の母は、生き生きとしてハリがあって健康的で、今のわたしよりもずっと逞しくハツラツとして見えました。
若々しい「昔の母」の写真を思い浮かべて鏡を見ては、もしかして自分は急速に「現在の母」の方に近づいているのではと不安を募らせるわたし。

そして、お墓の前での集合写真を再び懐かしく眺めると、いろんな思いが込み上げてきます。
写真は古ぼけているのに、写っている人たちがみんな若くて、元気で、そして輝いて見えるのはどうしてなんだろう。
今の方がずっと暑いはずなのに、あの頃の夏の陽射しの方が強く思い出されるのはどうしてなんだろう。

この世はなんだかんだと慌ただしいし、もう会えない皆様も増えていくけれど、そのうちみんなあちらの世界でまた集合するのかもなあ、と時の流れに思いを馳せるお盆です。




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