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老舗イタリアン

以前、東京へ出かけた時のことです。

ふと、20代の頃勤めていた会社から徒歩圏内にあったイタリアンレストランを思い出しました。
1度だけ、会社の先輩夫妻と訪れたお店です。
当時の日本では珍しく、イタリア人オーナーシェフがやっていたあのお店。
まだあるのかなあ、と思って調べてみたら、場所の記憶が定かではないけれど、なんとなく同じ付近にあることがわかったので、さっそくランチに1人で訪れてみました。

それほど広くない店内に、50席ほど。
ホール担当の男性が3人。
店内の雰囲気を眺めても、遥か20数年前のぼんやりとした記憶と重ならないのが気になったけれど、キビキビとしたスタッフの案内に導かれてテーブルにつきました。

30歳くらいの爽やかな男性スタッフが、「当店は初めてでいらっしゃいますか?」と笑顔でメニューを差し出してくれます。
正確に言うと初めてではないけれど、面倒くさいので「はい、初めてです!」とわたしが答えると、ささっとランチメニューのシステムを説明してくれました。
ランチプレートをはじめとして、メインが付いたり、デザートが付いたりしたいくつかのコースがあり、カジュアルで値段設定も高くありません。

オーダーしたランチが運ばれてきて、わたしが本を読みながらのんびり食べていると、昼休憩のスーツの皆様や女性グループが続々と来店して、徐々に席が埋まっていきました。
そうやって賑わうテーブルの間を、3名の男性スタッフが背筋を伸ばして颯爽と行き来して、とても活気があります。

1980年代後半に流行った洋楽ばかりが流れるBGMに、つい懐かしくてわたしが聞き入ってニヤニヤしていたのか、男性スタッフの一人が「どうかされましたか?」と声をかけてくれました。
「BGMが、懐かしくて……」とわたしが言うと、「ああ、コレ、この店がオープンした当時に流行った音楽で、イタリアのラジオなんですよ」と、慌ただしいお仕事の中、わざわざ教えてくれました。

忙しく立ち働きながらも各テーブルに目を配り、オーダーを厨房へ伝達し、素早く食事の進行度合いを確認し、お客様へ声をかけてさりげなくコミュニケーションを図り、電話応対もこなす3人の男性たち。

彼らが生き生きと動く様は見ていてたいへん心地良く、その3人が店内を完全にカバーして、コントロールしているのがよくわかりました。
食事をしつつその様子を眺めて、「ああ、わたしはお店というものが好きなんだなあ」と実感。

お会計は、はじめにオーダーを受けてくださった男性が担当してくださいました。
「お食事はいかがでしたか? はじめてのお客様に喜んでいただけたでしょうか」と、自然な笑顔で尋ねる彼。
わたしが、「とっても美味しかったです! 実は25年くらい前に1度来たことがあるんです。でも昔のことなので記憶が曖昧で……、25年前も、この場所にありましたか?」と言ってから、(ああしまった、30歳くらいの若い男性にそんなことを聞いても、知っているわけがない。おばさん、ウッカリしちゃったよ)と思っていると、しばらく目を閉じて考え込んでいた彼は言いました。

「25年前ですか……ええと……、そうですね、25年前だと、この向かい側に第1号店がありました。
実はここは2号店で、でも25年前なら、当時もこの2号店もここにあったはずです。
ですからお客様が前にいらしたのは、お向かいにあった1号店か、こちらの2号店か、どちらかだったはずです」

えええ?
25年前は、あなたはおそらく幼児だったでしょう?
対応の素晴らしさに驚きです。
そして、25年前に若き頃のわたしが訪れたのは、今はなきお向かいにあった1号店だと判明しました。
店内へ入ってもまったく当時の記憶と重ならなかったのは、そういうわけでした。

このレストランでの出来事に大いに感激したので、長野に戻って友人達に報告すると、
「きっとその仕事が好きなんだね。『好き』って大事」とか、
「その店のファンで、そこで働ける幸せを感じてるんだね」とか、
「その彼は、いずれその店を乗っ取ろうとしているのかもよ」とか、
いろんな意見が出ましたが、
考えてみたら、繁忙期に当店を手伝ってくれる友人達や姉も、安い時給にもかかわらず細やかな配慮をしてくれるし、たとえば「15年前に当店があったかどうか」と問われれば、当然のように答えてくれるはず。
15年前のわたしの精神状態まで答えられそう。
感謝。

でも、東京のそのお店のスタッフは、当然ですがオーナーでもなく、オーナーの親しい友人や家族でもないはずで、その一人一人が店の歴史を把握して、すごくちゃんとしてるって素晴らしいです。
そこで働く人たちのスタンスで、お店の印象もお料理の味わいも変わります。

多くの店と人がひしめく東京で、何十年も続くお店ってそういうことなのかなあと大変感心して刺激を受けた、素敵なお店の思い出でした。

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