いつかの伊勢神宮にて
「ああ、お母さんもこんな表情するんだな」
鮮烈な青と共に、1番目に焼き付いている忘れられない旅の想い出。
はじまり
社会人になって自分でお金を稼げるようになった夏、初めて母親と2人で旅行することになった。
きっかけは思い出せないが、確か旅行をプレゼントするという名目だった気がする。
神社仏閣系にハマっていたので、初めての伊勢神宮に行こうという話になった。
そうそう。
まだ若かった私は、伊勢神宮までの旅路に新幹線の「のぞみ」ではなく「こだま」を選択してえらく文句を言われたことを覚えている。
なんでそんなに怒るのかピンと来ていなかったが、乗って分かった。
長時間座ると腰が痛いのだ…。
そんなことも分からないくらい私はお子様で、1番安いからと何も考えず予約して初めて、自分の配慮の至らなさ加減と、今までのぞみに乗せてもらっていたことの有難みを知った。
ちなみに、行きの新幹線でお気に入りのハンカチをポトリと落とした。
ある意味、禊の旅の始まりだったのかなぁ、と今になると思う。
いつかの伊勢神宮にて
初めての伊勢神宮は、とにかく暑かった。人も多かった。
伊勢の外宮を訪れた際、母だけが集中して蚊にたかられて、とても可哀想なことになってしまった。
それでも、内宮を訪れるとそれはそれで楽しかった。
側を流れる五十鈴川でボーっとしたり、赤福を食べたり、ふわふわの伊勢うどんを食べたり、おかげ横丁を巡ったり。
私としては充実した旅行だった。
暑かったので、早めの晩御飯ということで古民家風のカフェに入った。
そこで、母を何気なくパシャリと写真に収めた。
撮った写真を見て思った。
私には下に弟、妹がいるのだが、私を含め普段の子どもたちの前では見せない、寂しそうに笑う横顔がそこには写っていた。
ただの私の思い込みかもしれないが…
理由もなく、なんだか、私は切なくなった。
楽しい旅だったけれど、その切なさが今も胸に残って記憶に残る旅でありながら、あまり思い出したくなくなってしまった。
そして、冒頭の記憶が刻まれた。
私はその顔を見て、なんだか親を離れる時が来たんだと、改めて感じた。
親が親という役割でなくなる瞬間。
親が一人の人間、女性となる瞬間。
そんなシーンだった。
実際、その旅行の後には私は一人暮らしを始めるための引っ越しを控えており、物理的な親離れは用意されていた。
その前に、精神的に親離れが来たんだと、感じた旅行だった。
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