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第5回「緊張」

第5回哲学カフェphilosophian。

議題は緊張の哲学。
友人の前では緊張しないのに何故大勢の前では緊張するのだろう。
これを心理学的にではなく哲学的に考えようと話しました。
今回のキーワードは「期待」と「失望」です。

まずは緊張するのは何故かを考えます。
大勢の前での発表は何故にあんなに緊張するのでしょう。

大勢の前で発表するということは
「これだけやったんだから、できるはずだ(または、できなかったらどうしよう)」という自分自身に対する期待や
「あの人なら〇〇くらいの発表ができるはずだ」といった相手からの期待を背負うことになります。
この期待値とのギャップを埋めようとする感覚が緊張へ繋がるのではないでしょうか。

つまり、自分自身に対する期待や相手から向けられる期待に応えようとすることで緊張は生じるのだということです。
もちろん、期待に応えようとする際には、そのための準備も必要です。
準備する→期待に応えようとする→緊張する

以上のような構造にたどり着きます。
余談ですが、学生時代に諦めていた数学のテストで僕が緊張しなかった理由もこれで解明できるでしょう。(笑)

ここまで話した段階で我々は前提に対しても疑問を投げかけます。
「友人の前で緊張をする場合はあるよね?例えば性的嗜好の告白とか。」

たしかに、仮に自分が同性を性的対象として好きであるとしたら、それを知り合いに打ち明けるのは緊張しそうです。
これも理由を深堀りしてみます。

人間は狩猟採集民の頃から集団で生活を営む社会的な動物です。
集団で生活するということは所属先の規律や習慣から逸脱することを避けなくてはなりません。
同質性が優先されるということは異質性の排除にも繋がります。
(そんなことはないと個人的には信じていますが)異性同士が結ばれることが前提の社会において、性的マイノリティ志向は異質性の中に包含されるかもしれません。
集団から逸脱しないようにしようとする、言い換えると失望値とのギャップを埋めようとする感覚が緊張へと繋がるのではないでしょうか。

つまり、集団からの失望を最小限にとどめようとすることで緊張は生じるのだということです。
おそらく、この告白前にも準備や心づもりは事前にすることでしょう。
準備する→失望を避けようとする→緊張する

不思議なことに、先ほどと似たような構造を友人の前における緊張にも見出すことができました。
今回のカフェで私たちは緊張の構造をこのようにして解き明かすことができます。

緊張は準備(または心づもり)をすることで誰の前にしても起き得ます。しかし、緊張は2種類に分類されるでしょう。
「期待」に応えようとするポジティブな緊張と「失望」を避けようとするネガティブな緊張です。
緊張という作用は自分のパフォーマンスの成果と期待(失望値)との乖離を極力減らそうとすることで生じます。

日々の生活における緊張そのものはストレスとなりうることも多いようにも思います。
しかし、どちらも社会集団に生きる我々には緊張が必要な反応であるのかもしれません。
平穏な生活と適度な緊張のバランスを上手く保ちながら、日々の生活を楽しく過ごしたいですね。

今回も楽しく哲学できた気がします。
また次回の記事もお楽しみに。

(YY)

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