第4回「自己愛」

哲学カフェPhilosophian、第4回。

今回は「自己愛」をテーマについて考えました。

※今回の記事は議論において明確な結論がでなかったため、メモ的要素が強いことをご留意ください。

フロイト著「喪とメランコリー」

ジークムント・フロイトの著した論文「喪とメランコリー」では、喪に服すことと比較して、メランコリーの本質について研究されています。

フロイトによると、愛する人を亡くした人は、その悲しみを克服するために。喪に服すという行為を行う。喪に服すことによって「人を失う」というネガティヴな状態を克服しようとする。

喪に服すことによって、愛する人を非難しようとする。しかし、その愛する人はもういない。非難することができないのだ。非難する対象の不在により、非難を自分に向けてしまう。そうして自己非難の結果、メランコリー状態へと人は陥ってしまう。

他者愛は自己への愛の回収

フロイトの自己非難によるメランコリーは、他者に与えていた愛の回収に伴い、非難の対象をも自分自身に向けていることに端を発しています。

ここで考えたいのですが、私達はどうして他者を愛するのでしょうか?

突き詰めて考えれば、自分自身の幸せのためという考え方があると思います。

他者愛は自分自身への愛、自己愛を基にしていると考えることができます。自分に与えていた愛の少なくとも一部を他者に与えることで、他者愛は成立する。

喪に服するというのは、他者に与えていた愛を回収すること。自己を期限として他者に与えていた愛は、他者がいなくなったことで、自分自身へと回収されます。

ただし他者と自己は異なる存在であるので、その愛の回収には悲哀が伴います。他者 の喪失により、非難を他者に向けられず、自分自身に向けられる。

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おわりに

愛はどんなかたちであっても、どんな対象に向かうものであっても、突き詰めて考えれば、自分自身の幸福を追求するためのものなのではないかと考えました。

自分自身だけを愛していればそれが一番の幸福なのでは?と考えることはできると思います。しかし、人は社会的な動物です。環境やコミュニティの中で生きていることを意識せざるを得ないと思います。そのため完全に独善的であることはできないと思います。だからこそ他者と向き合い、他者との共存の中で幸福・愛を見出していかなければならないと思います。また、他者との共存の故に非難・悲哀とも向き合っていかなければならないと思います。


(ざき)


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