#1571『大園桃子論 never scene.』

#1571『大園桃子論 never scene.』

時は流れても
変わるモノ、変わらないモノ....

大園桃子。乃木坂46第3期生。
鹿児島県出身。9月13日生まれ。
2016年9月4日
乃木坂46第3期メンバーオーディションに合格。
2017年8月9日
18th.Single「逃げ水」でシングル表題曲の初センターに選出される。
そして2021年9月4日を以て乃木坂46卒業。

鹿児島県の山と畑で囲まれた自然の中で育った。小さい頃から人前に出るのが苦手なタイプ。アイドルにさえも興味はなく。そんな彼女が乃木坂46のオーディションを受けたきっかけは、仲の良い先輩の強引な勧めに負けたからだと語る。二次審査面接へはその先輩に付き添ってもらい足を運んだ。でも、他の参加者の並々ならぬ空気感に場違いだと悟り、泣き付いてしまった。それでも先輩は優しく肩を押してくれた。特技として剣道の素振りを披露しようと試みたが、体はガチガチで何も動けなかった。それでも面接は通過し、いよいよ最終審査へと。母親と上京したその頃から少しずつ彼女の中で変化が見られた。初めて「ここで落ちたくない」と思った。結果見事に合格、乃木坂46第3期生としてお披露目された。だが新たな生活の地ここ東京は、無機質な高層ビルで囲まれていた。行き交う街の人々は俯いて見えた。気が付けば、景色は様変わりしていた。
当初の3期生では暫定センターを務め、そして「逃げ水」では表題曲初センターに抜擢、取り巻く環境は目まぐるしく変わり続けた。そのスピードに心も身体も追い付けなくなって行った。朝から仕事に追われ自宅への帰り道、都会の空を見上げても星はなく、周りを見渡しても優しさは見当たらず、心が落ち着く場所はどこにも無かった。気が付くと一人ぼっちだった。

正直、乃木坂は苦難の日々だった....

加入当初の彼女は何も出来なかった。歌やダンス、舞台に立つ者としての心構えから、基本的な挨拶に至るまで。その頃からネットの間で囁かれ始める「あの子がセンターで大丈夫なの?」「すぐに泣くよね」「態度悪くない?」....センターに立った事で耳に入ったのは応援の声より強いバッシングだった。でも当の本人が誰よりもそれを自覚していた。「こんなダメな自分がどうしてセンターなの?」「こんな可愛くない自分が乃木坂に居ていいの?」そんな自分がセンターに立った事の申し訳なさから、同期の3期生にも自ら壁を作っていた。センターの私が弱みを見せていいのだろうかと。だからその本音はずっと心の底に閉まっていた。そんな気弱な彼女をずっと見守っていたのが、白石麻衣だった。自宅に招き一緒にご飯を食べながら、彼女の相談に乗った。時には彼女の為を思い叱る事もあった。

でも、悩みを打ち明けた事でほんの少し進む勇気が生まれた。先ずは自分に出来る事から始めてみた。元気に挨拶する様になった。TV番組での椅子の座り方一つにも気を付ける様にした。泣きたくても我慢する様にした。だけどそれでも泣いてしまう日々。どんどん成長する同期メンバーに比べ、何をやるにしても明らかに自分のペースは遅く。振り入れも未だ居残りでレッスンをする程に。やっぱりこの世界は向いてない。自信を失いかけていた。
だけど、そんな彼女を救ってくれたのは同期の3期メンバー、そして地元・鹿児島の友達であった。「自分は乃木坂に居るべきじゃない」そう悩んでいた時、いつも励ましてくれた。目指すべき目標がないと悩んだ時はそっと「そのままの桃子が一番だよ」と泣いてる間寄り添ってくれた。

変わりたい、と願った。
でも、変わらない景色に癒された。
変わらないもの、も大切じゃないかと
気付いた。

振り返ると涙より、笑顔で溢れていた。
やっぱり私は、乃木坂が好きだったんだなと
気付いた。

気が付けば、しあわせは近くにあるんだ

だから、卒業は後悔じゃなく
新しい明日のはじまり
まだどこにも見たことない新しい空
そう、あの自由な風のように


大園桃子の笑顔が大好きだった。
あきらめず頑張っている姿が輝いてた。
本当にお疲れ様でした。

君とここにいる奇跡
思い出ファースト
いつか振り向き

悲しくなった時は思い出して欲しい

たくさんの出逢いと
この5年間のすべてに感謝を込めて

最高で最後の夏を、ありがとう。

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