Out of Africa

鬱に苦しんでいる人を理解し、心の闇から救い出すことは可能だろうか。すぐ近くにいる者だからこそ、近くにいるがゆえに、傷ついた時には向き合えないものだ。

20世紀の哲学者アーレントは言う。人は傷ついた時に自らの言葉を失ってしまうと。傷ついた心をすんなりと見せてくれたら対処することは簡単かもしれない。しかし、傷ついた人が傷ついたことを明確に自覚できない時、あるいはそれを心の秘密として居直った時、人は人を十分に理解することはできない。その人と1時間でも話せば理解して癒されることは可能かもしれない。でも何年も自らを語ろうとしないのなら?

自らの言語を持つことができない時、心の傷を含めた秘密をさらけ出して、自らを語ろうとしない時、私はどうしたらよいのだろう。

結論としては、辛抱強く待つしかないのだと思っている。 

「どんな悲しみでも、それを一つの物語とするか、それについて語るなら、人々は悲しみに耐えることができる」(ディーネンセン『アフリカの日々』)

アーレントもしばしばディネーセンを引用する。それはアフリカの地で欧米という植民地主義者でしかなく、同時に女という植民者(白人男性)にさえもカウントされない存在が自らを語る物語だからだ。

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