サウルの息子

『ライフ・イズ・ビューティフル』のようなトンデモ映画がカンヌでグランプリをとりアカデミー外国映画賞をとったことを考えれば、同じ賞を取りながら、ホロコーストの描き方についてヨーロッパ映画の深さを感じさせる秀作だ。ナチズムに関心がある人なら絶対に見るべき作品である。

ただしとても疲れる。カメラはサウルに密着し、移動しながら収容所の中のガス室の遺体処理を見つめる。長くぼんやりとした画面は観るものの神経を逆なでする。この映像の閉塞感が好きか嫌いかと問われれば、私は大嫌いだ。

また、映画の宣伝が「息子の遺体をユダヤ教により正しく埋葬したいと、ホロコーストの中でも人の尊厳をかけて最後の力を振り絞る」とあるのはどうなのだろう。そもそも彼が息子であるかどうかも確かでない。息子の名前さえも語られない。

サウルにとって少年の埋葬とは象徴でしかない。ユダヤ人の武装蜂起すら意味がない。なぜなら彼の心はすでにガス室で死んでいるから。サウルのこだわりとは生者への尊厳ではなく死者への尊厳。殺戮された事への不当性ではなく、ユダヤ教では認められない焼却され灰となる事への告発。ここにきて私の理解は追いつかなくなってしまうのだ。

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