CAEエンジニアが現場の人に理論的に正しいことを主張することの無意味さ

数値解析結果をモノづくりの最前線で行っている製造現場の人に見せた時に、数値解析結果のコンター図やベクトル図、流線図が製造現場の人が持っているイメージと違うことで理解されないことがよくある。現場でモノづくりをしている人たちが特に機械内部で起こっている目に見えない現象を感覚的、暗黙的に理解しており、その持っているイメージが見せられた数値解析結果と違うということである。CAEエンジニアがこの時にどのように対応するかで、現場の人たちからの信頼度が大きく左右すると思う。

Bad Communication

よくありがちだと思われることは、CAEエンジニアが数値解析結果の正しさを理論的に説明することである。CAEは演繹的な方法のため、入力や前提条件に間違いがない限り理論的に正しい解を出力している。そのため、理論をベースにその正しさを延々と説いているのを目にすることがある。

これは、製造現場の人が数値解析や現象の理論を理解していれば理解されることかもしれない。しかし多くの場合、その現象を学術的、理論的に理解していることはあまり多くはないように思う。ましてや数値解析を理解していることはまず無いため、CAEエンジニアが自分たちの世界で使われる専門用語をもとに話していては決して理解されることはない。なぜなら、彼らは製造現場で起こっている現象を感覚的に理解しており、それは理屈ではなく感覚や経験に基づくものであるからである。

CAEエンジニアが自分たちの世界で使われる専門用語をもとに話をし、製造現場の人にCAEの世界を理解させようとする限り、彼らが自分たちの感覚的なイメージを覆すことはない。これは、CAEエンジニアの世界を製造現場の人たちに強制的に理解を強いること(相手に変化を強制すること)であるためである。それはCAEエンジニアと製造現場の人の現実と実際に観ている図が異なるにもかかわらず現場の人の図を観ることなく理解しようとせず、自分たちの図を観るように強いることである。

これでは決して現場の人の信頼を得ることはできない。

Good Communication

私が意識していることは、数値解析結果を見せたときに、相手が持っているイメージを聴くことである。特に製造現場の人は経験に基づく感覚的、経験的なイメージを持っており、言葉にはならないイメージを持っている。それがモノづくりの肝であったり、数値解析では決して表せない感覚的、経験的なパラメータであったり、まだわかっていないことだったりする。これを丁寧に解き明かし、想定できなかった入力や条件、現象の理解につながる可能性を見出すことになる。

組織開発的に言うならば、数値解析結果をきっかけにお互いの認識を共有するための対話のきっかけとする。これにより現場の人の観ている図を丁寧に聴くことを通して明らかにし、現場の人の言葉にならないイメージを言葉にしていくことで暗黙知が明らかになる。そしてこの暗黙知を理論と結びつけることで、形式知となり現象の解明になり、正しく現象をとらえ解析できるようになる。これによりCAEを使ったモノづくりのQCDの改善につながり、ひいては利益につながる。またこの一連の行為を通して、現場の人との信頼関係を築くことにつながる。

CAE×OD

実験や実現象との数値的な一致や正しさを求めることも一つの使い方ではあると思う。しかし、メーカーにおいてはCAEを活用してQCDを改善し利益を上げることが第一であり数値的に一致するかどうかはそのための手段でしかない。そのため、メーカーのモノづくりや製品開発において数値的な一致を求めることは大して重要な問題ではなく、それにかかる労力や時間・費用に比べれば、CAE結果をもとに製造現場や設計者と対話を始め、語られる言葉を変えていくことで新たな発想につなげることのほうが圧倒的にリーズナブルであるため、メーカーにおけるCAEの効果的な使い方だと思っている。
私は、これがCAEを使った組織開発であると考えている。また、これまでこのようなアプローチにより製造現場や設計の暗黙知を形式知にしてきたし、結果としてCAEを活用した製品開発につなげてきた。
製造現場の人や設計者と緊密なコミュニケーションをとることは一見遠回りのように思える。しかしそれは多くのCAEエンジニアが演繹的なことを重視するあまり曖昧さがある生身の人間との対話を避け、コンピューターとの対話を好んでいることに起因することではないかと思う。本来仕事は人間関係の中で生まれるものだと思う。CAEも多分に漏れず人間同士の関係の中でこそツールとしての真の価値が発揮されるものではないかと思う。

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