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短編小説「オレオレ本気」

「オレオレ! 俺だよ! 母さん! 大変だ!」

 電話口の向こうで冷や汗をかいているのがありありとわかるほど、声が震えていた。そしてその声は上京した息子の声に似ていた。

「祐樹(ゆうき)かい?」

 土曜日の昼前、田村由美子(たむら ゆみこ)六十歳は、その男の声に思わずそう言った。そして、言ったあと「しまった」と思った。

「そうだよ! 祐樹だ! 母さん! 俺、事故っちゃった!」

 その後、電話口からとてつもない勢いの言葉を捲し立てられた。事故って高級車に追突してしまった。それで事故相手が腰をやってしまったから入院費を払ってほしいと言う。事故相手はすぐに支払うなら二百万円で良いが支払えないなら訴えると言っている。訴訟費用等考えるとすぐに支払った方が良いけど現金がないから振り込んで欲しい。相手は怖そうな人だけど今のところそこまで怒っている感じはないから早く決めたい。すぐに郵便局に行って二百万円振り込んでくれ。

 由美子は一通りの言葉を聞いてから、電話口に向かって得意げにこう言い放った。

「あんた、オレオレ詐欺だろ? わたしゃ騙されないよ!」


――――――――――――――――――――――――――――――――――


「わたしゃ騙されないよ!」

 田村祐樹(二十六歳)は母が何を言っているのかわからなかった。

 騙される? 何に? 祐樹は冷静ではなかった。

 つい先月買った生まれて初めての自分の車、買ってから毎日ウキウキで乗り回していた。平日は板金屋での肉体労働だが、休日は時間を気にせずドライブし放題だ。しかし、たまの休日にテンションが上がって寝不足の身体で運転したのが間違いだった。気付いたときには前の車に突っ込んでいた。ブレーキを踏んだが間に合わない。信号で停車中の前方車に後ろからガツンだ。百パーセント自責だろう。

 ぶつかった車がベンツだと気づいたときには頭が真っ白になった。

 中から黒づくめのスーツを着たスキンヘッドの大男が出てきたときは失禁するかと思った。

 そして更に中から、ヤのつく道の重鎮といった体のお爺さんが腰を抑えながら出てきたとき、祐樹はもはやこれまでだと自分の死期を悟った。

 しかし、祐樹にとっての幸運は、向こうのお爺さんがそこまで頭に血が上っているわけではないということだった。スキンヘッドの方はお爺さんをしきりに気遣いつつも、急いで救急車を呼んでいた。怒りを露わにしているが、お爺さんが居る手前あまり強く出られないようだった。

「私も昔、追突しておかまを掘ったことがあるよ。今後は慎重に運転することだね」

 パニックになりおろおろしていた祐樹に、お爺さんは腰を抑えながらそう言った。お爺さんはそこまで調子悪く無さそうだが、祐樹は震えながら謝ることしかできない。「後の処理はアイツとやってくれ」とスキンヘッドの男を指さし、やがてお爺さんは救急車に乗せられて行ってしまった。

 その後はジェットコースターのように目まぐるしい展開だった。警察が到着し事情聴取。レッカーが到着し車を道路脇へ移動させる。スキンヘッドの男が差し出した携帯を手に取ると、向こうの顧問弁護士と名乗る男。自動車保険の確認をされ、しばらくしてから「二百万円で示談とします」と告げられた。

 二百万! 祐樹の銀行口座にはその一割も無かった。何しろ先月車を買ったばかりなのだ。こんなことなら車なんて買うんじゃなかったと自分を呪った。

 電話口の弁護士は、お互い面倒を起こしたくないから示談金で済ませようと言っている。裁判になれば両者に手間がかかり祐樹側の負担も増えるだけだと。頭の中が真っ白になった祐樹でも、その弁護士が言っていることが正しいということは理解できた。

 しかし無い袖は振れない。警察は民事不介入だという。どうにか二百万円を工面しなければ。

 スキンヘッドに一言断って、スマートホンを取り出した。電話帳を震える手でフリックする。

 祐樹は一人っ子で、父親は五年前に亡くなっていた。頼れるのは田舎に住む母しかいない。そう思い、電話をかけたのだった。

 その結果が、「わたしゃ騙されないよ!」だ。

「あんた、オレオレ詐欺だろう? こんなことしてると警察に捕まるよ!」

 電話口から聞こえてくる声は確かに母の声だ。しかし、母は祐樹を息子だと思っていない。

「いや詐欺じゃないよ! ホントに俺だよ! 田村祐樹だよ!」

「詐欺はみんなそう言うんだよ! どこで電話番号を調べたのか知らないけど、わたしを騙そうったってそうはいかないよ!」

 祐樹は頭を抱えた。母、田村由美子は疑り深く、頑固者だ。何故かこちらを詐欺だと決めつけている。

「本当に祐樹、本人だよ! 母さん俺の声を忘れちゃったのか?」

 そう言うと、由美子は少しの間黙って、こう言った。

「確かに、祐樹の声に似ている気がするわね……。でも今はアレだろう! 機械で声なんて変えられるんだろう! 私は知ってるんだよ!」

「声なんて変えてないって! 電話番号だって俺のだろう? スマホの画面に出てるはずだから見てくれよ!」

「それだって機械で操作してるかもしれないだろう! ハッカーって人はパソコンとかインターネットで悪い事がなんでもできるんだからね!」

 由美子は昔から機械に疎い人間だった。機械に対して高齢者特有の不信感を持っている。なんとかスマートホンの基本的な操作はできる程度で、それだって祐樹が懇切丁寧に教えてやっとというところだった。

「そんなことわざわざしないよ! ホントのホントに本人だって! 田村祐樹! 二十六歳!」

「…………そんなに言うなら、父さんの名前とウチの住所を言ってみな!」

「父さんの名前は田村祐作だろ! 飼ってる犬は白いプードルで名前はプリン! 二年前に死んだインコはピー助! 住所は福岡県〇〇市△△……」

 祐樹は早口で住所を言った。電話の向こうで母が黙っているのが分かった。数秒後、電話口からはこんな声が飛び出た。

「そんなのどこかで調べたんだろう!」

「じゃあ言わせんな!」

 思わず祐樹は大きな声を上げてしまった。手持ち無沙汰のスキンヘッドがこちらを訝しげに見ている。祐樹は焦ったが、依然、由美子はこちらを信じようともしない。

「ホントに俺なんだって! 母さん、じゃあ何を言ったら信じてくれるんだ?」

「そうだね、あんた、血液型は?」

「A型だよ! 母さんもAで父さんはOだったろ!」

「あんたが学生の頃にやってたスポーツは?」

「中学はバスケ! 高校はバイトで部活はしてない!」

「好きな食べ物は?」

「母さんが作ってくれるグラタン!」

「好きな芸能人は?」

「ガッキー! 俺の部屋にポスター張ってあったろ!」

「始めて女の子と付き合ったのはいくつ?」

「高三の時!」

「母さん知らないよ! そんなこと言って無かったじゃない!」

「親にいちいち彼女できたとか言わねえよ! いい加減にしてくれ! 合コンじゃねえんだぞ!」

 祐樹は唾を飛ばして答えた。もはや困惑よりもイラつきを感じてきていた。しかし、ここまで言えば流石に由美子もこちらが本当に実の息子だと信じてくれるだろう。

「確かにあんた、息子に関してよく調べてるみたいだね……。でも、仮にあんたがさっき言ってた通り事故の現場なら、事故の相手が居るんじゃないのかい?」

 まだ疑っているという事実に祐樹は頭を抱えた。しかし、頼みの綱は母しかないのだ。髪をガシガシ掻きながら電話に答える。

「もちろん、事故の相手も警察も居るよ!」

「本当かい? 本当に居るなら電話を代われるかい?」

 祐樹はため息をついて、スキンヘッドの男に事情を説明した。スピーカーホンをオンにして、スキンヘッドにスマートホンを渡す。彼は不審がっていたが、しぶしぶ了承して祐樹のスマートホンを耳に当てた。 

 スキンヘッドがもしもしと声を出す。

「あんた、詐欺グループの仲間かい? 悪いことは言わないから詐欺なんて辞めな!」

 祐樹は目を見開き、慌ててスマートホンを取り上げた。冷や汗でシャツがぐっしょりと濡れている。スキンヘッドにペコペコ謝りながら、電話口に怒声をあげた。

「えーくれにしゃっ! おっかん! いーかげんあくどか!」

 思わず祐樹は方言が出ていた。東京に出てからは矯正していた方言が。

 すると、電話は暫く黙った後、こう言った。

「その声……本当に祐樹なのかい!」

「そうだよ! 本当に祐樹だよ!」

 ついに母に自分を認めさせることができた。祐樹はしかし安心などできない。何しろ事故った直後なのだ。二百万円必要なのだ。

「それじゃ…………事故も本当ってことかい?」

「そうだよ! 俺事故っちゃったんだよ!」

「そんな…………大変じゃないか!」

「最初から言ってるだろ!」

 思わず祐樹は電話口に怒鳴ってしまった。向こうで由美子がおろおろしているのがわかる。逆に祐樹は怒りで頭がぐつぐつする。しかしなんとか堪え、二百万円を振り込んで貰うよう口早に指示する。由美子は一転焦った声を出しながらも、うんうんと頷いている。もうすぐ郵便局が閉まっちゃうから早く行けと言うと、彼女はすぐに返事をして電話を切った。

 これでやっと目途がつきそうだ。祐樹は一安心し、スキンヘッドに声をかけた。先ほどの無礼を謝る。

 五分ほどして、祐樹のスマートホンが着信を告げた。母の住む実家から郵便局はとても近い、もう振り込みが終わったのかと思い電話に出ると、

「あんた、もう一度聞くけどホントのホントに祐樹かい? 郵便局の人が騙されてるんじゃないかって言うんだ」

 祐樹は全身の血が沸騰しそうになった。怒りに震える。またイチからやり直しなのか? 強く握りしめたスマートホンがミシミシと言う。

 そして、そこに先ほどまで事情聴取をしていた警察の人がやってきて、こう言った。

「先ほどの事情聴取なんですけど、田村祐樹さんでしたよね? 念のため本人確認できるものを…………」

 祐樹は警察をぶん殴った。


 終



Twitter:@caesarcola

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