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カディスで心の停泊しませんか?

グラフィックデザイナーの加藤維紗人によるコラム、「OFF THE PITCH by Isato Kato」。カディスで過ごした10ヵ月間の体験をもとに、この港町が持つ魅力を皆さんにお届けする。

カディスの赤い星

逢坂剛氏の長編推理小説に『カディスの赤い星』がある。作中にタイトルと同名の重要なアイテムが登場し、このアイテムを巡る壮大な事件を軸に物語は進む。フィクションだということは言うまでもないし、「カディスの赤い星」と呼ばれるアイテムも実在しない。

しかし、私は小説の舞台の一つにもなっているカディスで"カディスの赤い星"を見た。

厳密に言えば小説中に登場するアイテムのことではない。それに名前をつけるのであれば、正に"カディスの赤い星"としか表現しようのない、目には見えない感覚的なものを私は見たのだ。
フェニキア人の拠点を起源とする歴史ある旧市街の街並み、Costa de la Luz(光の海岸)とも呼ばれる美しいビーチ、110年の歴史を持つカディスCFといった非日常的側面から、そこに住む人々とその生活、港町を明るく照らす太陽や時に表情を変える海といった日常的側面にいたるまで、カディスのすべてからあふれ出す"あたたかさ"。それが私の目の前に、"カディスの赤い星"として姿を現したのだろう。

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2つの海岸の2つの夕

私にとって"カディスの赤い星"とは、Playa de la Caleta(ラ・カレータ・ビーチ)から見た夕焼けのことである。太陽は既に沈んでいたが、地平線に近い空と海は燃えるような赤で染まっていた。海の上に浮かぶ何隻もの手漕ぎボートと昔ながらの蒸気船が停泊しているかのようなCastillo de San Sebastián(サン・セバスティアン城)は、その濃い影で夕焼けを切り抜いていた。
私は手持ちのデジタルカメラで何枚か写真を撮ったあと、その夕焼けが夜の闇に溶け込むまで、しばらく眺めることにした。短い時間の中で必死にその景色を記憶しようとするのではなく、その景色に心から浸っていた。振り返ってみると、あの景色を眺めている間は、自分が抱えていた様々な悩みから解放されていたと思う。そして、過去の経験から世の中に対して悲観的思考だった私の中で、「世界を悲観的に見るのはまだ早いのではないか?」という考えと「もっといろいろな美しい世界を見つけたい」という欲求が芽生えた。

翌日、語学研修からの帰り道でPlaya de Santa Maria del Mar (サンタ・マリア・デル・マール・ビーチ)から見た地平線に沈む夕日に私は衝撃を受けた。砂浜を歩く男性の影が伸びるほどの強烈な夕陽の光で、橙色に染まる街並み。今でも目を閉じれば、そよ風にのった潮の香りと心地の良い“あたたかさ”を思い出せるほど、私の脳裏に焼き付いている。
都会では見ることができない地平線の向こう側に沈んでいく夕日は、「世界が狭いようでとても広い」ということを私に教えてくれた。
Playa de la Caletaで見た夕焼けとPlaya de Santa Maria del Marで見た夕日は、新たな視点と生きる力を私に与えてくれた。それは太陽の光や景色の美しさだけによるものではない。太陽や景色の背後にある、カディスのすべてからあふれ出す"あたたかさ"こそが、私の人生観を変えたのだ。

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カディスの時間

カディスへ出発する3カ月前のこと。
とあるスペイン人からこう言われた。

「カディスに住んでいる人はみんなのんびりしている」

確かにカディスには独特の時間の感覚があると私は考える。
友人と見に行ったフラメンコショーが始まったのは開始予定時刻の1時間後だった。本当は何かトラブルがあったのかもしれないが、友人曰く「遅れるのはいつものこと」らしい。
シエスタと言われる午後の休憩時間がある。その時間帯に旧市街を散策してみると、ほとんどのお店が閉まっている。それどころか、道にいるのは自分だけで静まり返っていた。いつも賑やかなカディスがここまで静まり返るのかと驚いたものだ。

確かにカディスには独特の時間が流れている。そして、その独特な時間にも"あたたかさ"がある。東京では時間の早さに合わせるあまり、心が焦ってしまうことがある。その時はカディスの時間を意識するようにしている。周囲の流れに合わせ過ぎず、自分の時間軸を持つように考える。そうすると少しだけ心の焦りが楽になる。

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ゆっくりでいいんだよ

カディスの"あたたかさ"は、私が自然体でいることを許してくれた。それは私が10ヵ月間という長いようで短い時間でも、1人のGaditano(ガディターノ、カディスの住人)としてカディスに溶け込もうとしたことに、カディスの"あたたかさ"が応えてくれたからかもしれない。

カディスの真の魅力は"あたたかさ"にある。
その"あたたかさ"は誰かの人生を変えるほどの力を持っている。

どんな時でも笑い声と歌声が聞こえる10ヵ月間をともに過ごしたカディスの家族。
どんな時でもしつこいぐらい私に声をかけ続けてくれるカディスの友人や町の人々。
カディスの"あたたかさ"とは、どんな時でもお構いなしに"人生を楽しもう"とするカディスの人々に根付く考えなのかもしれない。

スペインには多くの魅力的な場所がある。
もしこのコラムを読んでいる皆さんが、カディスのすべてからあふれ出る"あたたかさ"に触れ、心を休めながら、人生を見つめ直したいというのなら、私はカディスへ行くことをおすすめする。
皆さんの第二のクラブから第二のホームタウンへ。カディスが皆さんの心と人生の停泊地になる一つのきっかけになれば、筆者としては幸いである。


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