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胸が重苦しい

私は自分がない気がする。
でも我が強いと思う。

とても矛盾しているけど、そう思う。

自分がなくて我が強い。
もそれも私。

どんなに落ち込んだ日でも良い事は探しているし、後ろ向きに歩かない。
自分がどうありたいか、なりたいか。

何を間違えているのか分からなければいけないけど、もっと感謝の気持ちを持てる様になりたい。

いつまでも落ち込むのもやめたい。

スイッチの切り替えが下手。

自責と他責を自分では理解してると思い込んでいた。

・自責

何でも自分が悪いと思うことだと思い込んでいた。
とんでもない間違いだ。
こんなところまで自責?
と思っていたのは、相手へのアプローチを間違えていたり、いい意味で、できなかったことを内省し、次に何をなすべきかを考えるためにあること。

・何でも自分が悪い。
と思って不平不満を言ったり、落ち込む言葉でない。

・次への成功や進むためのヒントが詰まっている。

謙虚さを持つ。
たった一言で済むとても前向きな言葉。

・他責

これは本当に、嫌と言うほど思い知った。そして、他責にして誤魔化す事を長い間してしまうと、自然と他責にしてしまう場面が出てくる。
他責にするつもりでなくても、気をつけているつもりでも、ふとした時に出てくる。
他責は本当に恐ろしい。

私の思う他責の何がいけないか。

・逃げ癖がつく
・肝心な時に前に踏み出せず引いてしまう。
・未来的思考を奪う

過去に囚われて、ずっと後ろ向きに恨みつらみばかりを言い続ける呪い。
現在、目の前にいてくれる人の事を見ずに、過去に…後ろを向き恨みつらみを言い続け「どうせ私なんか」と現在、未来に出会う人たちの言葉や、伸ばしてくれた手を振り払ってしまう。

友を捨て、大切にしてくれる人を捨て、一人で生きて孤独に死んでいくと宣言しているのと同じだ。

だから私は心身共に具合が悪くても、"1日1良い事"探しは続けているし、人とずれている「あなたは人の気持ちが分からない」を、探し続けている。

多弁

私は幼い頃から多弁だ。
それは、孤独が怖かったから。
今は、沈黙が苦手だから。

・家族や友達以外にはたくさん話す方ではなかった。
・私は沈黙が怖い人見知り、気を遣って話しすぎてしまい悪印象を与えてしまう。
・沈黙が私を噛んでくるわけではないので、のんびり焦らず自分らしく、話しすぎていらない情報を相手に話して不快にする必要はない。

無駄な気遣いは結局お互いの特にならない。

自分らしく生きて、生きやすく生きて、幸せになりたい。
今、私が分からない、できないことに答えがあるから。
その先に幸せがあるから。

穏やかな風のような人になにたい。

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