繊細で大胆

自分が繊細だという感覚はなかった

かなりどんな窮地でもどうしたらいいかな〜だけをいつも軸として捉えてきた大変ポジティブな人間だし。
わりと詰めが甘いし、大味なのかなとすら思っていた。

けれど、仕事をしていて気づいた。
効率以上に"お互いが"良い方向に向かっていくための言い方とか、タイミングとか考えてしまう。

行動ではなく顔の表情、仕草から感情を読み取っては、どうしたらお互いよりよく過ごせるか、を考えてしまう。
(言葉にすることは責任を担うことなので、相手の責任をわざわざ引き受けすぎて負担になるほどにはしないように、基本的には言葉と行動以上を読み取ることを当たり前とはしないようにしているが)

そしてやはり、ひとつひとつの出来事が起こった要因だとか、自分が感じた感情に対して、なぜ生まれたのか、どうしたらよりよかったのか、とか
いちいち意味合いを考え始めてしまう。

こうやって生きていたからできる行動があり、書ける言葉があり、他人を、未来を想像できる範囲はすこし広がっていると思う。
けれど、自責にしすぎて、できなかったことの多さに押しつぶされそうになると本末転倒だから、使い方は本当に要注意だ。

説明したくて冗長になってはしまったが、書き始めたのはこの気づきの話ではなく、繊細を含めたわたしの性質のことなのだ。

繊細であるものの、わたしは結構大胆なのだ。
やりたいと思ったことはやりたい。就活のときの他己評価も、バイタリティがずば抜けだった。
HSS的性質に当てはまるのかもしれない。

希望して身につけてきた性質が相反する、
向かいたいってもがいて動いて、でも動くほど考えてしまっていっぱいいっぱいになって。
性質上ひつぜんだったんだなあ、かわいい。
それらの心労って、必死にうごいて頑張っている証拠だったということだから、他人事みたいにかわいい。

繊細でなければいけないし、タフでなければいけない。最近MISIAがCMで言ってるね
あくまで表現者の中でも、なにを表現するかにもよるけど、本当にその通りだな〜と思っている。
繊細で、タフな自分を頼もしくうけいれていこう。

文章に向き合う仕事、言葉を紡ぐ仕事、してみたいなあ。

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