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希薄でいいもの



お金に興味がない。

生きていく上で必要な分は稼ぐが、「より金持ちになろう」とか「身の丈以上の何かが欲しい」などと思ったことが一度もない。


所謂、貧乏の家の3番目に生まれた私は、そういう意味では人より望む力が凄く薄いのかもしれない。

貧乏エピソードと言えば、想像しやすいのが「貧乏メシ」だろうか。以前テレビで芸能人が"売れない時代は生のキャベツに味ぽんをかけてしのいでいた"と言っていた。確かにうちは貧乏だったが、流石にそれはなかった。だって単純に美味しく無さそうじゃん。もう少し工夫していたと思う。

よく覚えているのは、夜中に母が泣きながら「明日どうやって生きていけばいいんだろう」と、一人テーブルに突っ伏しているところだった。父は薄給だが拘束時間が長く、母一人子供四人、母は孤独と闘っていた。

欲しいものは当然買えないし、お年玉で父からポチ袋に「約束手形」と書かれた紙を入れられていた私からすれば、望むことは罪に等しいことだった。

私が貧乏だった為に今直しているところは、生活水準が低すぎるというところ。生活に望みを持っていないところだった。


だが、そんな私が小さい頃から養われたのは"「これ欲し〜い」と思ったものは本当に今の私に必要なんだろうか"と思わざるを得ない思考だった。

友達が持っている流行りのモノなどはどうせ飽きるし、その流行が廃れれば不要になる。上の兄姉が持っていて羨ましいものは根元的な物欲ではない。そうやって自分の中のコストカットを洗練させ、幼子ながらミニマリストだったと我ながら思う。

母親に百貨店で「何が欲しいの?」と言われ、(真実が欲しい、私の魂が本当に求めるものが欲しいのだ)と考え、「掃除機が壊れているので、私の誕生日にプレゼントというていで買って欲しい。そうすれば高い買い物であっても私が望んだと言えば父も何も言わないだろう。」と答えた。


捻くれ子供の爆誕である。


だがポケモンのシールは集めていた。可愛かったし、本当に欲しかったし、数百円のパンを買えばおまけで付いてくるというコスパのよさが大好きだった。歳の離れた兄が持っていないキラキラのレアシールに出会えた時、自分の運の良さに酔いしれる時が幸せだったのだ。うーん、捻くれている。

私は数百円程度のものばかり欲しがった。

自分でも心配になる程物欲のない私を、親が心配しないわけがない。ミニコストの物を見つけ、「これが欲しい」とねだれば(ああ、この子もちゃんと欲しいものがあるんだな)と思われるだろうとお茶を濁していたのだ。高い物は心が辛くなるので欲しくなかった。中学生の時、1800円のエルモの筆箱を買ってもらい、(高いなぁ、申し訳ないなぁ)と思いながら3年間使った。

中学の修学旅行は行きたくなかった。捻くれていたので「旅行って有象無象がガン首並べて先生の指定した場所に行くことじゃない。好きな人と好きな所に行き楽しむためのもののはずだ。」とか思っていた。だが"行かない"という選択肢を取れば親が心配するし、先生も気を使うだろうし、クラスで「アイツ貧乏だから行かないんだぜ」と後ろ指を刺されることは明白だったので、しぶしぶ行った。クラスのイケメン軍団と班が一緒だったので嫉妬の嵐が吹き荒れていたが、私の心は色恋より「如何にお小遣いを使わずに帰って来られるか」で満たされていた。

お土産は母に頼まれた10枚入りの生八つ橋のみだった。帰ってきて、お小遣いをほぼ全額返した。私の心が一番解放された瞬間であった。


父に「清貧であれ」と幾度となく説かれた。

「物欲を持つと卑しくなる。どうせ全て捨ててあの世に行くのだ。執着心を捨てよ」と小さい頃から言われた。


今の私は働き、困らない程度にお金がある。僅かながら貯蓄もできるようになってきた。小さい頃と比べたらだいぶ"お金持ち"になった。

が、欲しいものがない。

思いつかないのだ。

あの頃には想像もできなかったような便利家電を使い、新車で車を買い(5年ローンだが)、QOLも格段に上がった。が、それ以上の望みがない。

だがそれでいいと思っている。

チープな言い回しになるが、金が全てではない。人間、裸で荒野に立たされた時に真価を問われると思って生きている。その時金は何もしてくれない。必要なのは生きていく能力である。幼少の貧乏時代がそれを教えてくれた。

すなわち金に繋がる訳だが、その基盤を作るのは己自身だ。

頑張って生きて行く、それでいいのだ。











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