私の幸せと不幸について考えてみた
私は、これまで生きてきた中で「私は不幸だ」と思ったことがない。
こういうとまるでなんの苦難もない人生を歩んでいるように見えるかもしれないが、別にそんなことはない。
悪口を言われて傷ついたこともあるし、失恋して泣いたこともあるし、人を恨んだり嫌ったりすることもある。腹が立つこともある。
「つらい」も「くるしい」「悲しい」も感じるけれど、そういうことがあったからといってそれを「不幸だ」とは思わないだけだ。
かといって「もっと私より苦しんでる人がいるのだから、私は十分幸せなのだ」とか、自分に言い聞かせているわけでもない。
本当にただなんとなく、私は不幸だ…とは思ったことがないだけである。
不誠実な男に傷ついて吐くほど泣いたりするのは不幸だろう、と思う人もいるかもしれないが、別にそうでもない。いや、もちろん苦しいし悲しいのだけれど。
私はわりと自己肯定感が低いし別に自分の容姿が優れているとも思わないし、なんならもっときれいで可愛く生まれたかったなあとすら思うようなやつである。
ただ、自分は不幸だと思ったことがないことだけは私の好きなところだと胸を張って言える。
そう思ったとき「じゃあ私にとってどんなことが不幸なのか」と疑問が浮かんだ。
ええ…なにが不幸だろう…
きっとさすがの私も、全財産を失っただとか、不慮の事故や何か犯罪に巻き込まれて大切な人を失ったりだとかがあればちょっとくらいは不幸だと思う、はず。
ただ、明確にこれは不幸だ!!と思えることが思いつかない。
これ自体がもうすでに私が幸せである証拠だと思うのだ。
だってつまり、私は不幸を知らずに生きてきた。
というか正直、他人に対しても「不幸な人だな」と思ったことがない。
たぶん、私の感覚としては「幸せかそうではないか」くらいしかなくて、
「幸せか不幸か」ではないんだろう。
あと、ものすごく自分に都合のいい解釈だとは思うけれど、
「こんなことがあって幸せ!!」と思うことはあれど
「こんなことがあったから不幸だ」にならないのだ。
いやなことがあった時思うのは「こんなことがあって不幸だ」ではなくて
「こんなことがあって悲しかった」だとか、事実とその時の感情。
幸せだとか不幸だと感じうのも感情だとは思うけれど、どうやら私は負の感情を得たからと言ってそれを不幸と表現しないタイプらしい。
というか、私はいままで「不幸だ」と表現する人を見たことがない。
これは私が人間関係に恵まれただけなのだろうか。
でも、ネットしていても「悲しい」「苦しい」「しにたい」という言葉は目にするけど「不幸だ」ってあんまり見ない気がする。
わざわざ口にしないだけで心の中ではそう思っている人もいるのかもしれない。
まあ、なんにせよ、私は自分を不幸だと思ったことのない幸せな人間なのだなあとたまに考えるわけだ。
そんな私の幸せってじゃあどんな時なのかという話なのだが、それはもうほんとに些細である。
・パン屋で買ったパンがめちゃくちゃ好みだった
・道端で雀が集まってて可愛かった
・夕焼けがきれいだった
・育ててる植物の芽が出た
・炊き立てご飯の香りがした
・読んだ本がおもしろかった
とまあ、こんな感じに書ききれないほど些細な幸せがちらばっている。
散歩が好きなのは、道端でも些細な幸せが転がっているからかもしれないなあ。
せっかく幸せを感じる時を考えてみたのだから、私にとっての幸せを感じるときの共通点を考えてみたけれど、そこまではまだたどり着けなかった。
これも今後のテーマにしてみるのもいいかもな。
幸せを感じたときにはすぐそれをメモに残して、あとで見返すのも楽しそうだ。
こうして考える時間もまた幸せなのである。
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