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自身の倖いを大きな循環に還していく

こんにちは、すずめです。

「ひとりひとりが自然体で生きる世界」をコンセプトにお話聴く人やってます。

自分を知るための「こころを開く習慣化」を実践してます。
(さらに自分に還る14日間チャレンジ7日目)

なので、人に読ませるための文章ではありませんのでご了承くださいませ。


うまくできるかできないか、みたいなことをよく考えている。

ホントはそんなのどうでもいいことなのだけど、
結局のところ、人の目が気になる、これがまだ捨てきれてないんだなぁ。

あっ、と気づいて立ち還る。なんどもなんども。


誰かのために何かをする、ということは、
その誰かがどのような望みを叶えたいか、そのビジョンを知ることであり、

そこに伴う不安や痛み(こころの壁)を察し、話し、受け容れ、肯定し、
「いまその状態からいつでも始めることができる」と背中を押し

ともに歩いていくことなんじゃないかと想う。


それが具体的な行動であったり、祈りを届けることであったりと、
関わり方はさまざまだとしても、
きっとやっていることは同じなんだろうなと。


価値観、ビジョンの共有、歩みの速度、
コミュニケーションにまつわるいろんな要素が、
自分の弱いところをあぶり出すので、

「ともに歩いていく」のは生易しいことではないですね。


でも、自分のためだけに何かを叶えようとするときは、
もっともっと自分の弱いところが出てきます。

自分のために駆け抜けようとして早々に失速したり。


だからこそ、誰かのために何かをするほうが、
自然な形で循環が生まれ、想いもよらなかった変化が起こりやすいですね。

そのときごとに、関わりそのものが、ダイナミックに変容・調和していく。


自分の望みは「より大きな望みに内包していること」であるといい。

誰かが自然体でいられる関わりができる倖いを、
大きな循環に還していくトライをしてみようと想う。

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