「凶」は上に行くだけ、だからいい意味
こんにちは、すずめです。
「ひとりひとりが自然体で生きる世界」をコンセプトにお話聴く人やってます。
ここのところ「こころを開く習慣化」を実践してます。
(さらに自分に還る14日間チャレンジ5日目)
なので、人に読ませるための文章ではありませんのでご了承くださいませ。
さて、絶賛落ち込んでます。
落ち込んでる、というと一見ヤバそうな印象ですが
なんてことないフリして「大丈夫」と言えちゃうときのほうが
よほどヤバかったりするのでね、
「ちゃんと落ち込めている」意味で、字面の印象より健全です。
(ちゃんと、というのも表現がアレなんですが。笑)
いつも想っていることなのですが、
人も植物もできごとも、
芽吹く直前までは、芽吹くためのエネルギーを蓄える必要があるので、
「表面にあらわれないことが重要」な期間。
目に見える形にすると、
自分も人も、よくわからない「安心」が得られてしまうだけに、
ホントは「まだ」なのに、つい急いで芽吹かせてしまったりする。
そして、うまく育たなかったりする。
こういうことが「ホントそうだよね」って想えたときに、
きっとちゃんと落ち着けるんだと想う。
実のところ、
「落ち込む」とは自分の軸足を深く深く突き刺していくこと
と想っている。
ADHDやASDのお蔭で、集中しすぎたり散漫しすぎたり、その加減をうまく調整できないことに困り続けていたこともあって、
いろんな可能性を諦めてしまっていたなぁ、と今このタイミングに訪れているチャンスを想うのです。
だからといって、途中で離してしまった手、を過去に戻ってやり直すことはできません。
そうではなくて、今世での魂の目的を叶えるための必然、と捉えられるか。
人生のどの場面においても、偶然という必然が起こっている。
だから、すべて順調、ということ。
肝は、「その時点でいったん手放す必然があった。それが最適解だった」と想えるかどうか。
で、それをひとりきりでやろうとするとくじけやすい。なので仲間が要る。
「よりよくなっていくことを想う」あたたかみのある関係性が要る。
何が起きても「ちょうどよかった」と想えるなら、できごとの善し悪しが問題でなくなる。
「凶」はあとは上向いていくばかり、そのために気をつけていくだけ、とも取れる。
これってある意味「吉」よね、と想っている。
より、自由な角度で聴ける人、話せる人、で在ろうと想う。
結果的に「落ち込み深まる」よう、人と関わっていることに気づいていけるのだとしたら素敵だ、と心から想う。
これまで否定してきた自分の捉え方が変わるって面白い。
こういう誰の得にもならないことを考えるのが、ずっと昔から好きなのだ。
でも、それは(情報発信的な意味で)役に立たない、と想うようになってから意図的に切り捨ててきたことでもあり。
なのだけど、風俗嬢時代はこんなことばかり発信していたなぁ、よくお客さまは読んでくださっていたなぁ、と改めて想うのでした。
ナチュラルにこんな感じの自分が、誰かの役に立つことがある可能性が「すでに実現した世界」から、今ここにいるのよ。
あなたもわたしも。
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