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人のことだとナチュラルに動ける。それが目指す世界「自然体」

こんにちは、すずめです。

「ひとりひとりが自然体で生きる世界」をコンセプトにお話聴く人やってます。


突然ですが、すずめはADHD気質を持っています。
診断を仰いだことはないけれど、人生のちょっとしたエピソードから明らかすぎるし、投薬治療を望まないため、医療受診を受ける理由がないのです。

でも、ADHD由来なできごとをきっかけに落ち込むときは、
「きちんと診断しておいたほうがいいのかな」
という想いが出てくることも正直あります。

だから、一般的にグレーゾーンということになります。

でも、そんなラベルをつけることなく、自分が自分らしく生きれて、
「こんな特性を持っているけど、それを素敵に生かすことができるようになれたら素晴らしいよね」と想っています。

そして、

そんな風に悩む人はきっとわたしだけではないし、
「そんな風に悩む人ひとりひとりがその悩みの特性が実は宝物だったんだ」と想えるようになり、
「それを生かすことができる世界になったらいいな」
と想い活動しています。


ADHDの特徴のひとつに衝動性があります。

今日は、衝動的にからだが動いたからこそ気づけたこと、
人のことだとナチュラルに動けることを書いていきたいと想います。


今回起きたできごとは以下の通りです。


仲間が困っていることをメッセージのやりとりで知りました。

すかさず、「力になります」とばかりに即行動に移しました。
その方に頼まれたわけではなく、勝手に行動です。単なるおせっかい。

そして、アクションを起こした先、2件断られ、3件目にして快諾をいただけて、仲間の困りごとは解消しました。


そして以下が悩んだことです。

飼い主がボールを投げた瞬間、すかさずボールを取りに行く"わんこ"状態だなと_| ̄|○(この衝動性は今に始まったわけではありません)。


でも逆に、これが自分のことだったら、即行動には移せなかったでしょう。
2度断られたら心が折れて、3度目のチャレンジもなかったと想います。

それだけ「自分のことでは動けない」自分のことがわかり、
「人のことだからこそ動けた」自分のことを知りました。


自分の利益を満たすためにがんばれる人もたくさんいると想います。
けれども、人が誰かに貢献するためのがんばりをしているその姿を応援することで自分が幸福感を感じられる、自然と嬉しい気持ちになれます。

こういうことのために「自分のイノチを使いたい」と想うのです。
こういう姿が、わたしが提案している「自然体」であり、目指す「世界が自然体になる」です。

すずめの周りには、すでに他者貢献が当たり前の仲間がたくさんいます。
これをもっともっと広げていきたい。


わたしが想う、
大切と想う人にたいして自然と動ける「自然体」の生き方は、
才能を発揮しているさまをあらわしています。

巷で言われる「自然体」とはちょっと違っていて、
何もしない自然体とも、演出した自然体とも異なります。

ナチュラルに他者貢献できているときの状態というのは、
誰もが惹かれてしまう魅力で輝いています。

それをただ憧れて終わるのではなく、
あなたもわたしもそこを目指して叶えていくんです。

そんな風にして、誰もが自分の「自然体」を体現している世界
素敵だと想いませんか?

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