問題は、ひきこもりか、ニートか。いいえ、問題となるのは納税額。
◼️私は、優良市民?
私は、細々とだが働いている。
勤務先で多少の人間関係もある。
必要に駆られ、買い物にも行く。
だから、
ニートでも、ひきこもりでもない。
だが、私の活動範囲は非常に狭い。
徒歩圏内の勤務先を選び、
愛する布団から半径1㎞以上は、
決して離れ(たく)ない。
縄張りを持つ野生動物の方が、
はるかに活動範囲が広そうだ。
私は、野生動物ではなかったので、
縄張り争いをする必要もなく、
タンポポの綿毛のような存在感で、
この世に生存している。
◼️ひきこもる奴らが、問題児?
ひきこもりが問題視される根拠は、
社会性の欠如、と見せかけて、
彼らの就労欠如(の生活)にある。
つまり、
働いていないことだけが、
問題視されている。
ひきこもりでも、
働いてさえいれば、まったく問題ない。
自宅から一歩も外に出なくとも、
社会性の欠如に起因した
とんでもない人間性を持っていようとも、
法を犯さず、仕事で結果さえ残せれば、
社会貢献度の高い
素晴らしい人間と評される。
社会性や人間性など、
所詮は、評価基準の一要素に過ぎない。
◼️ニートな奴らが、問題児?
やはり、
働いていない奴=ニートが、
社会における問題児であろう。
ちなみに、
彼らの労働スキルは問題視されない。
なぜなら、労働市場では、
必要な時に必要な分だけ消費可能な、
純粋で安価なマンパワーが魅力的で、
最も価値があるからだ。
奴隷がインフラだった時代の
爆発的な経済発展を想像すればよい。
◼️正真正銘、本物の問題児
社会における問題児とは、
働かない奴らである。
とすると、
ここで一つの疑問が浮上する。
働かずして生産性のある生き方をする、
FIREな方々をどう見るべきか。
労働=生産性とする価値観に準じれば、
働いておらずとも、生産性があれば、
働いていることと同義であろう。
訂正しよう。
社会における問題児とは、
生産性がない奴らである。
◼️納税しない奴が、本物の問題児
労働市場における生産性とは、
還元すれば「金」である。
つまり、
金を生み出さない者(経営者視点)
=納税をしない者(権力者視点)が、
社会における本物の問題児なのだ。
現代の大人社会における問題児とは、
働いているか否かではなく、
金を生み出せるか否か、
=納税をしているか否か、で決まる。
微々たる額しか納税せず、
極限られた範囲内に生存するだけの私は…。
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