「懐かしい」は、幸せの象徴

「懐かしい」

とは、
過去の記憶の中に、
ポジティブなもの
見い出だす感情だ。


ネガティブな記憶を引き出すものに、
「懐かしさ」は感じない。

例え、
それが、過去と今の大半をカタチ作り、
それ無しには、自分が成り立たない、
としても。

ネガティブな記憶は、
「懐かしい」という感情とは、
決して結び付かない。

それでも、
ネガティブな記憶の中に、
「懐かしさ(的な何か)」
を感じるのであれば、

きっと、それは、
ネガティブな記憶の断片に、
自分にとって重要な何か
取り込まれている。

誰かの負の感情を全身で浴びている時に、
「こんなの、絶対に間違っている」
と確信した正義(的な何か)
かもしれないし、

己の過失や、意図しない衝突を経て、
「この記憶を決して忘れまい」
と心に刻んだ誓い(的な何か)
かもしれない。

「懐かしさ」は、
ネガティブな記憶の中には、
存在し得ない。

パワハラ加害者に再遭遇した時、
感情がどうバグったとしても、
「懐かしい」とは思えない。

法律モラル罪悪感
不在の世界であれば、

後遺症が確実に残る(が死なない)
程度の損害と、
毎年(最低一回は)自死未遂を繰り返す
100年人生を、
相手に与えたい。

パワハラ加害者と共有し、
自身にこびりついた記憶を目の前に、
私なら間違いなく、
それだけを思い、一心に願う。

「懐かしさ」は、
ポジティブな記憶の中にしか、
存在し得ない。

どんな些細なことに、でもいい。
一瞬より短い時間、でもいい。

懐かしい」と感じたことがある。

それは、
貴方が、幸せな時間を生きた過去を持つ、
という証拠である。

懐かしく」思う。

それは、
それ自体が、それだけで、
とても幸せなことなのだ、

と、私は思う。


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