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十二月 #短編小説

十二月は何事も無かったように、いつも通りに訪れ、冬の到来を誇示するように、しっかりと冷たい風を吹かせている。陽が沈み、空の暗さが増すにつれ、恋しくなるのはもちろん酒だ。

「おう源さん、熱燗おかわりくれや」
「君もうそれで10本目だよ、そろそろ…」
「何言ってんだいケンちゃん、十合なんざデモンストレーションみたいなもんだろよ」
ケンちゃんと馴染みの居酒屋に来ている。大将の源さんとも二十年近い付き合いだ。
「ケンちゃんアンタ、この人が飲む量減らしたらオイラの稼ぎも減っちまうがな」
「おうおう言ってやってよ源さん」
「仕方がないね。しかし源さんなんでまた「店閉める」なんて言ってるんです」
年末で店閉めようかなんて言ってんだ。まぁ源さん元気とは言えもう七十過ぎだ。仕方が
ないっちゃ仕方がない。
「それがよぉ、ここ最近味がわからなくなっちまってなぁ」
味見をしても何も感じられず、最近じゃ味見はもっぱら手伝いの久美ちゃんに任せてるんだそうだ。
いつも笑顔で源さんを支えてる久美ちゃんは、「ちゃん」という響きがよく似合うが、歳はたぶん六十近い。源さんの奥さんが亡くなって五年が経つが、それ以来ずっとにこにこと笑顔で店を手伝っている。
「病院行ってもね、ひとつも悪いとこはないから百まで生きるって言われたのよ」
病院じゃ匙投げられたってのに、久美ちゃん相変わらず笑って言ってらぁ。

その日は一升瓶二本でお開きにした。

翌朝になり、源さんのことが気になりだして、味覚障害なんぞを調べることにした。調べものなら図書館に限るぜ。借りっぱなしのチャリンコ飛ばすと、風の冷たさが骨身に染みる。

「自転車」
図書館に着くなり、受付の兄ちゃんそう言った。三文字。もう挨拶代わりみたいなもんだ。
「お、おう、ちゃんと返すって」
「嘘」
一文字。失礼な…、とは言ってもまぁ事実だぁな。
「兄ちゃんよ、味覚に関する…」
「医学書」
三文字。なんでい最後までしゃべらせやがれよ。なんでこっちの言いたいことわかんだよ。

指刺された棚に行くと、沢山の医学書が並んでる。が、どれを見りゃ良いのかもわからねぇし、片っ端から開いてたら陽が暮れちまう。
「なぁ兄ちゃん、味覚に関する…」
「その棚の三段目の右から七冊目、「味覚障害の診療」の八十三ページ」
「…。」
黒縁眼鏡を光らせて、まだ聞いてる途中なのに早口で捲し立てやがる。この兄ちゃんばかりはもうよくわからんよ。
とりあえず言われた本の言われたページを開けば味覚について書かれてやがらぁ。図書館の本の内容全部覚えてんのかね、この兄ちゃんは。さて味覚味覚…

味覚(みかく)は、動物五感の一つであり、する物質に応じて認識される感覚である。生理学的には、甘味酸味塩味苦味うま味五味基本味に位置づけられる。基本味の受容器ヒトの場合おもににある。基本味が他の要素(嗅覚視覚記憶など)で拡張された知覚心理学的な感覚としての味は、風味(ふうみ)と呼ばれることが多い。また、認識の過程を味わう(あじわう)と言う。

なんのこっちゃ。んで治療は…

味覚障害の原因が明らかな場合は、原因に応じた治療を行います。 たとえば、亜鉛、鉄、ビタミンなどの栄養素が不足している場合は補充を行います。唾液分泌量が減っている場合は、唾液の分泌を促進する治療薬を使用します。

…うーん、こんなのならそもそもお医者で事足りらぁなぁ。そうだ、味覚ならやっぱりアレだろ、美味いもんの専門家に聞くに限るぜ。

「よぉ大将、味覚ってのは急に無くなったりするこたあるもんかね」
やっぱり聞くなら肉屋の大将だね。
「そりゃアンタ、なんだって急になくなることはあるもんだ」
「そういうもんかい」
「万事そういうもんだろ。俺もさっきから自分ちの電話番号思い出せなくてよぉ」
そういう話じゃねーんだぁよ。自分の番号忘れちまって、一体どうすんだい。
「まぁ味ってのはよ、強烈に美味いもん食っちまうと、他のが味気なく感じたりするもんだぜ」
「なるほどねぇ。そりゃただ味ってだけじゃなくても関係あるかね」
「味っつーのは見た目も雰囲気もいろんな感覚で決まるからな。同じもん食っても一緒に食う相手によって美味かったり不味かったりするだろ」
そういうことかい、なんとなくわかったぜ。
「大将ありがとよ、大将のせいでこっちゃ他んとこの揚げ物食えねぇよ。今日のメンチも最高だぜ」
そう告げて、土産にコロッケ二つ買って店を後にした。

しかし謎は解けたがどうしたもんかね。家でゴロゴロ転がりながらしばらく考えてたら、良案閃いた。

まずは源さんと話しすっかと店に行く。
「なぁ源さんよ、かくかくしかじかでゴニョゴニョゴニョゴニョ」
うんうん思った通りだぜ。
今度は源さんの隙を見て、久美ちゃんと話をする。
「なぁ久美ちゃんさ、かくかくしかじかでゴニョゴニョゴニョゴニョ」
やっぱりそういうことだな。こりゃもうやるこたひとつっきゃないね。

翌る日の夜、こっちはケンちゃん連れてまた源さんの店を訪れた。

「ようよう源さん、アンタの味覚が狂っちまった原因わかったぜ」
「おお本当かい、そりゃ助かるぜ。それでオイラどうすりゃ良いんだ」
「やるこた簡単だよ。この紙によ、そっちの名前書いて印鑑押すだけでぃ」
差し出したのは、先に久美ちゃんに名前を書いてもらった婚姻届だ。証人もこっちとケンちゃんで記入済みだ。

源さんの話じゃ最近体力が落ちてきて、源さんの為に久美ちゃん精がつく料理をこさえてるんだそうだ。味の染みた煮物が特に美味くて心にも沁みると源さんは言うし、美味そうに食う源さんを見てると支えてやりたいと思うんだと久美ちゃんは言う。互いに今は独り者だし子供ももう巣立ってる。誰も文句はねぇだろう。まぁ要するに、味覚障害なんかじゃなくて、源さんの恋煩いってことだとこっちは睨んだわけだ。

「おいおいアンタ冗談は顔だけにしとけよ」そう言いながら、源さんもう泣き顔だ。
「お、そんなこと言うならこいつぁ破って捨てちまうよ」とこっちが言うと、慌てて奪い取り「こらこらアンタ待ってくれよ。まぁ久美がな、そう思ってるならよ…」涙堪えてるせいで、源さん最後まで言葉にならねぇ。なんだかこっちも泣けて来るぜ。
「なぁ久美よ、本当にオイラみたいなジジイで良いのかい」源さん問うと、「えぇえぇ、こっちももうすぐババアの仲間入りですから」久美ちゃんいつもの笑顔でそう返す。なんともお似合いじゃねぇか。
「こっちはこれで用済みだろ。さて源さん、熱燗二合とモツ煮をくれよ」
こっちが言うと、オゥッと袖捲りして源さんは料理を作り始め、久美ちゃんが酒を用意してくれた。ますます良い店になりそうだ。

源さんの味覚は以前にも増して鋭くなり、婚姻届は無事受理されたそうだ。今回もこれで一件落着ってこったな。

お〜らぁでえぇのか〜
おらおめぇでえぇてば〜♪

口ずさみながらチャリンコ走らせる。十二月の冷たい風も、酔い覚ましにゃあちょうど良いね。

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