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父の話。

私の父は、優しくて弱くて、とてもダメな人だ。

板前という仕事柄、私たち子どもが寝ている時間に帰宅して、私たち子どもが出掛けてから起きる。

趣味はタバコとパチンコと競馬。あと麻雀。休みの日はたぶん大体どこかに行っていた。母はどこに行くか、いちいち聞きもしていなかったんじゃないかと思う。家族旅行の時ですら、基本的に1人だけ別行動(たぶんパチ屋)だった。

いるんだかいないんだかわからない父と、それを野放しにする母。ケンカもそれほど見なかったが、仲が良さそうだと感じたことは一度も無かった。

それでも少しばかりの思い出が残っている。

自転車の乗り方を教えてくれたこと。
喘息の発作が出た時に、スクーターの足元に挟んで夜間外来に連れて行ってくれたこと。
パチンコ屋に連れて行って、一緒に打たせてくれて、帰りにもらった景品のチョコレートは、お店で売っているのより美味しかった。
場外馬券場(後楽園のWINS)に連れて行って馬券買わせてくれて、帰りに生まれて初めてちゃんとした焼肉屋に連れて行ってもらって食べた焼肉も、本当に美味しかった。
所属していた少年野球チームのイベントでニジマス釣りに行った時、ニジマスをプロのスピードで捌いて見せて、父兄が驚いている姿も印象的で、少し誇らしかった。

いるんだかいないだかわからない父が、私が中学生の頃に自律神経失調症を患い、仕事が出来なくなった。寝言で怒るくらい仕事のストレスを抱えていて、過労もあって体を壊してしまった。それでほとんどの時間を家で過ごすようになったけど、結局大してコミュニケーションは取らなかった。私自身が思春期なのと、あまり話さないタイプなのもあったし、体調が良い時は結局どこかに行ってしまって家にはいない。こちらもそれに慣れているから、変に家にいられても距離感の取り方がよくわからなかった。

結局2年程で父は仕事に復帰した。そうしたら、今度はほとんど帰って来なくなった。勤務地が少し遠いから、近くの知り合いの家に間借りしていると言っていたが、本当かどうかはわからない。見た目は細くて悪くないし、優しいダメ男だから、他に女の人がいてもおかしくは無かったようにも今では思う。

帰って来なくなったことにも理由があって、体調を崩している間に祖母が認知症になり、介護疲れをした祖父が亡くなった。祖母は祖父が亡くなったことも、息子である父のことも、介護している嫁(私の母)のことも、すっかり忘れてしまった。たまに帰って来ても、自分のこともわからない母を見るのは辛かっただろうし、今さら私や兄と妹とコミュニケーションを取ることも出来なくて、居場所を失ってしまったのだろう。

ちなみに父以外に姉が3人の4姉弟だが、祖母は満遍なく嫌われていたから、血の繋がりの無い母が全ての面倒を見させられていた。それを知らないまま死ぬことが出来た祖母は、ある意味で幸せだったかも知れない。最後の方は施設が受け入れてくれたが、誰よりも大変だったのは間違いなく母だった。祖父の遺産の大半を我が家に分配してくれたのは、それに対するお詫びのつもりだったのだろう。

だが、父は最終的に何処かで借金を作ったらしく、祖父の遺産に手を付けていた。そして…、手紙を残して失踪した。母はさすがに呆れていたが、私たち兄弟は今さら何も感じなかった。私もう感情の欠落部分が発動して、むしろ面白くて、笑い事として当時の上司に報告をした。年齢的にも、私はもう30歳を超えていたから、影響がない。そもそもいないようなものだから。上司には心配されたが、本当にちょっとネタとして面白かったのだ。

失踪したとは言え、弱くて覚悟の無い人だから、離婚届けを出すでも無く、昨年末に一瞬帰宅したらしい。お前の次男、結婚して子ども二人いるんだぞ、と思うが、一切連絡は来ない。生きてはいるようだが。ちなみに母もあまり孫に興味が無い。我ながら天晴れな親たちだ。

客観的に考えると、控えめに言ってまぁまぁクズだとは思うが、やはり父は優しい。決して偉そうにするでも暴力を振るうでもない。そんな家庭で育ったおかげで感情の欠落は否めないが、一般家庭とは少しズレた思い出も、私にとっては悪くない、楽しい思い出。
だから、借金しようと遺産に手を付けようと失踪しようと、私は全く嫌いになれない。今でも、普通に帰って来りゃ良いのにと思っている。

あなたがいなければ私はいないし、あなたがいなければ、私はきっと私に育っていないから。

何より、そんな人が父だから、自分の欠落や、心の中のクズの部分を受け入れられているのだと、自分では思っている。周りが私を良い人だと思ってくれたとしても、クズの自分を内包していることを自覚しているし、私自身はそんな自分を肯定している(しない方が本当は良い)のだ。私は私でしかないから、ずっと今の自分が一番良くて、生まれ変わっても自分に生まれたいと思っている。生まれ変わったら、父は他の人にしてほしいけどね(笑)

ウチの子どもたちは私の父のことを知らない。たぶん、YouTubeと同じくらい、子どもの成長にはいらない情報だから。話すとしたら、思春期超えてからだろうなぁ。

今回は本当に個人的なお話でした。記事にするのはどうだろうと思ったけど、最近ちょっと内省的になる時間が多かったので、アウトプットしておきたかった。

愉快な父のお話でした。

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