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 自分のことは、後日改めて文字にしてみようと思っているのだけど、札幌近郊で生活する高校3年生として。今日を書いておきたい。

 2度目の休校が決まった。新学期の座席を知って、胸が高まったばかりなのに、打ち切られてしまった。先生方の顔があんなに残念そうなのを初めて見た気がする。久しぶりに会えた友だちと、また会えないことが嘘みたいだった。慣れ始めていた長時間の自転車通学も途切れてしまう。治りつつある筋肉痛をもう一度、繰り返すことになってしまう。

 購買では新学期特別メニューとして鈴カステラが販売されていた。おそらく今月限定だ。つまり、今日が最後だ。

 札幌の、そして全道の高体連がおそらく無くなる。昨年までのデータを参照してインターハイ出場者を決めるそうだ。昨年のシーズンを東ティモールで過ごした自分にはチャンスさえない。緩やかにシーズンの始まりを感じた一昨日の何気ない練習が最後の部活になってしまいそうだ。

 冬でもない、夏でもない、澄んだ緑と青が広がる今だけの景色の中を自転車で駆け巡るのが好きだった。桜が咲く前の、今だけの空気感を感じながら高校を通えるのは今日が最後だったみたいだ。

 健康診断後は午後まるごと放課後となる。友だちと遊ぶつもりだった。これから何をしようか、考えていたところだった。何だか久しぶりに会った友だちと話したいのに話せなかった。明日でいいかって思ってた。

 末期の眼って言葉がある。去年に現代文の授業で習った。死に際には世界が美しく見えるそうだ。今日はとても楽しかった。放課後、いつもより多くの人に「じゃあね!」って声をかけられた。とても勇気があった。 

 思っているよりも、時間というものはないのかもしれない。忙しいという言葉は嫌いだなぁ。改めて、やりたいことはすぐにやらないと手遅れになる。言いたい言葉は伝えないと無かったことになる。友だちは離れれば知人に、真赤な他人になる。

 半年前くらいに、やましいくらいに仲が良かった友だちから前触れもなく電話が来た。最近なんだか辛いよって、相談してくれた。途切れたと思ったものが実は続いていることもある。色んなことに夢中になったり飽きたり、だらだらしたり、そうして続いている。ふと幸せの香りが降ってきたときの心の充実感。

 今日が最後かもしれないんだ。そう思うと日々が愛おしい。そう思わないと、雑に扱ってしまう。不謹慎ながら今、時代の潮流の中にいることに興奮を覚えてもいる。幸せは香りのようなものなのかもしれない。慣れたら感じられなくなる。1度失くすとまた香りに魅せられる。徐々に失われる。失くしてしまったことに執着してしまう。その執着こそ美しいような気がする。

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