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文章も料理もおんなじや

ずいぶんと月日は過ぎて文章は何にも書けんかった。しかし料理は毎日キッチンでも
家の台所でも精一杯やっとった。
いつも頭の片隅には想いを書くというのがあった。note始めたころはスラスラと字が出て来て
いやけっこう自分もいけるやんかとめでたい幸せな日々やった。

やがて自分の文章読み返してみると何やこれ
誤字脱字てにをは混濁ケーオスではないかと
にわかに恥ずかしなった。

料理やっとっても目指す出来上がりの皿を材料
組み合わせのすかたんや火入れの過不足調味料
もうちょっととか、なかなか上手くいかん。
一生懸命精一杯の失敗いっぱいある。
五十年やって百万皿の料理やってもあかんこと
ばっかりや。

いま、しかしや、と言いたい。
始めた頃、料理することは触れること、やってみる事やった。肉魚野菜塩醤油味噌出汁そして汗やった。自分の手足を動かす事やった。そのうちに量や時間を計ること、火や水の制御を覚え眠ってた嗅覚見つけるようになった。

そのうち作った皿ひとに褒められたりした。
上手いことやったら褒められるんや、しかし
うまいこと行くことあんまりなかった。
べつに人喜ばすために料理やっとったわけやなく、師匠の教えや自分が美味しいと感じられる
素材の吟味やその組み合わせ、そして火加減などに夢中になっているばっかりやった。

なあ、ええやんか文章も料理もおんなじで字違うたりてにをは間違えたり素材組み合わせ迷って焦げついたりして意味不明になってもええやんか。うまいこと人に伝わらんと褒めても貰えんしかしええねんでと言いたい。

料理文章おんなじすかたんでも、今生きてる
自分は一生懸命精一杯の人生や、自分の料理レシピや綴る文章めいっぱいや。ChatGPTとか
ちゃうねん、そんなもんはこちたきからごころや。自分は文章も料理も胸いっぱいの誇りと言いたい。

小雨模様Washington Square朝の散策、
傘はない。

同じ日の午後の陽差し。

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