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可愛くないと生きていくのが難しい

耳障りのいい言葉に甘えてしまう。

この前買い物に買い物に出かけたら、ずっと欲しくて憧れだったNUXEのオイルがちょっと安かったので、買ってしまった。
別にそこまで高価なものじゃないんだけど、あんまり自分の中で理想や憧れが強かったので、なかなか買う気になれなかった。
買ったら案外、身近に感じるものなんだけど。

『パリジャン』とか『ロンドンガール』とか。
そういう言葉が雑誌の表紙に書かれてあるとついつい開いてしまう本能みたいな。

そういえば、早熟で小学校高学年の頃から雑誌を読んでいたけれど、その時も『清楚』とか『ストレート黒髪ロング』とか、そういう言葉に憧れてたっけ。

お年玉とかお小遣いを貯めて買ったヘアアイロンで、毎朝早起きして癖毛を伸ばして学校に行っていた。
高校に入ってから、すれ違った女の子に「すごく髪が綺麗!」って声をかけてもらった時、なんだか全てが報われたような気がした、そんなことをよく覚えている。

そんな、耳障りが良い(でも残酷な?)言葉が、今でも多分好きだ。


これ付けると自分がいい女になった錯覚がする


別に、可愛くなくても生きていける。

そんな常識に気付いたのは(という常識を自分の中に持ち込み始めたのは?)、結構最近かもしれない。
それまではなんだかんだ、「なんだ、世の中結局顔じゃん。」とか、「見た目が良くないと生きてても辛いだけ」って心底思ってた。

でもやっぱり、可愛くないと生きていくのが難しいな、とは思う。
というより、可愛いって誰かに思ったり/思ってもらわないと、生きていくのが難しい。

家族でも友達でも他人でも、誰かのことを「可愛い」と感じれると、なんだか親切心が湧いてくるし、元気になれる。
髪が艶々だとか目が澄んでいるとか肌が均一だとか、そういうわかり易い基準じゃなくて、なんとなく、ビビットくるときめきみたいなもの。


心の中で「うるせー!!!😡」と返してるいつも


母とよく喧嘩する内容で、どうしても許せないことの一つがある。
私が素直じゃなかったり、優しくなかったときに、「それ、可愛くないよ。」って叱られること。
もうすぐ25になるんだけど、今でもそんな馬鹿げた叱り方をされる。

卑怯な叱り方だと思う。
だってそんなの、小学生の喧嘩で、最後なんにも言い返せないから「ブス」って吐き捨てるのと変わんないじゃん。
黙らせるのに効果的だと思われるのは癪だなって、別に可愛くなくても生きていくるんですけどって、そう思って無視するけど。

でもこの前、電車の中で切符を落とした女の子がいて、気付いてないみたいだったから、拾って手渡した。
そしたらその子、ありがとうございますって、ちょっとニコりとして。
わざわざ次の駅で降車する時、私に向かってもう一回小さく頭を下げて行ってしまった。
そういうの見ると、ああ、可愛いなあって思う。
ああいう可愛さを持ってる子は、どこでも上手くやっていけるんだろうなって。


心にくる'かわいい'は余韻がある気がする


ルッキズムとか、外見至上主義的な見方や考え方から逃げたいと思う。
それと同時に、どうしても誰かの可愛さに心を動かされてしまう瞬間も、確かにある(推しがいると特に)。
そういう矛盾を孕んだ日常が好きだ。苦しめられるし、考えさせられる瞬間もあるけど、でもやっぱり緩急があって好きだ。
考えるって大事だ。思考を捨てたら、生きててもあんまり意味ない気がするし。

可愛いって感情は大事にしたいと思う。
でも考え過ぎで病みたくないから、反射みたいなものになればいいのに、と思う。



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