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23. 火に次ぐひとつ

火を使える様になったところから、人類の生活は他の動物と大きく変わったと言われている。
時々観る色々な国や地域のブッシュクラフトの動画でも、その土地土地の寒暖差に関わらず どの人も早い段階で、火を焚く場所をつくっていて、暖をとる、水や食べ物に火を通す、獣除けが大きな目的にあることは、特に教わった記憶は無いのに、ずっと前から知っている。
道具を使う動物は本や雑誌、ドキュメンタリーで時々見るし、感情を持つ種類も研究から様々いると分かっていて、実際はもっといるのだろうなと思う。
でも火をおこして使う生き物は、人間だけみたいだ。


雲りの日の朝、部屋干しにすると決め、窓の方を向いて洗濯物をハンガーにかけていた時、レースのカーテン越しにベランダに黒っぽい物があるのに気が付いた。
カーテンを開けたら、5cmくらいありそうなスズメバチだった。だいぶ寒い朝だったけれど、生きていて、身繕いを兼ねて休憩しているように見えた。
窓に近付いて観察していて、頭に1番近い足の可動域の広さに驚いた。10分以上はそこに居て、後半はただ休んでいる様子で、少し目を離したらもう居なかった。

こわい生き物だから、普段は屋外で羽音が聞こえたり見かけたりしたら、すぐに屋内に入るか、静かにしゃがんで、行き過ぎてくれるのを待つしかない。だから数十センチの至近距離で観察できて、何というか 興奮した。
生きている本物だから。
怖いもの見たさもあるかな。
『スズメバチ』=『飛・刺・死』のイメージで、実際人間にとって危険な要素が多いけれど、身繕いはとても丁寧で穏やかだった。
そして、お互い安全な位置関係に居ると、その完成された造形は見れば見るほど美しく、そこに命が宿っていることの不思議さは感動的だった。
誰かと一緒に見たかった。

ガラスってすごいな…とその後しみじみ思った。
それこそブッシュクラフトでは、自然界にもともとある素材だけでシェルターを作ろうとすると、窓は壁に空けた穴の状態で、塞いだら外は見えず、光も入らない。
透明度の高いガラスが作られるようになってから、窓に使われるようになるまでは人間の住居は暗いか、風も生き物も出入り自由だったのかな。
そして窓のガラスだって最初から今みたいに透明で平らで滑らかな板状ではなかったのだから、向こうがクリアに見えるようになった一番最初に立ち会った時代の人は感動したのだろうな…と思う。

スズメバチから考えが転じて、
火が使えるようになったからこそガラスもあるんだ と。ガラスが出来たから、人間は自分たちの安全を確保しつつ、様々な生命体の観察や研究ができて、自分も日常で馴染みの無い命の形を、思わぬ角度から思わぬタイミングで観察できるんだと、嬉しかった。

ガラスの透明さは、“きれい” の中でもどこか孤立していて、あるのに無いみたいなのに、光を透すと影は持っていて、不思議。
冬は空気が乾いて澄んでいて、太陽の傾きも大きいから、ふとした午後に、ガラスを通して表れる太陽の光の軌跡を見られる。
日本の、この季節が好きだなと思う。




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