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一生わからない

”ここは星が見えない” ”息苦しい”

そのようなフレーズが上京してきた時のことを綴った歌でよく見られる。

いまは四畳半と缶ビールと君のたばこが俗に言うエモいとされているが、少し前にそれらと同じ位置にいたのが東京でもがく若人ではないだろうか。

地元や幼きこども時代、青春の瞬きを過ごした場所

見慣れない街に新しい環境

前述のフレーズらはこの二つを対峙し表現するには、若干の捻りもあり面白いと思う。(上京ソングで溢れた現在は新鮮さがあまりないが、それらがヒットしたころはいかに共感性が高く、聞き手に「あぁ~笑」と思わせるかが重要だったのではと思う。)

どれ程の人たちがそのような曲に共感し、勇気をもらったか。

しかし残念なことに私はその過程を経てその感情を抱くことはできない。
生まれも育ちも東京の私は、幼い頃から星が見えないものだし、息苦しいなんて幼い頃から思っていたと言えばとんだ子どもだが歩きにくい場所だとは思っていた。
そう、あのフレーズは私にとってごく普通の当たり前のことなのだ。

だから正直なところ、自身が生まれてから現在に至るまでを過ごした場所を大方の人に「冷たい場所」「苦悩の場所」などといったネガティブな言葉で表現されたり、共感されたりするのはどこか悲しいと思うこともある。

だが、そういう曲を書くのは辞めてとか嫌いとか頭の固いことをを言いたいわけでもない。寧ろ、祖母の家に行く道中で澄んだ空に浮かぶ満点の星を見たときは「こんなにも綺麗な星を毎日見てる人がいるのか!羨ましい!そりゃそんな歌詞も書きたくなるわ!」と何度思ったことだろう。

でもそれは長い月日をかけて体に染みついた人生ではなく、私にとっては一瞬の出来事でしかなくあれらの曲を共感するには乏しい材料なのだ。

曲の世界に入り込みたい私はこの類の曲にどうあがいてもは入れない。
唯一自分なりの答えすら見つけられない。
あぁ悔しい。

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