22歳のわたしの結末

22歳のわたし

2017/08/02 21:11

まだ若さに嫉妬するような年齢ではないと思うけれど、わたしは自分が22歳だということが信じられなくて街で制服姿の女の子をみると嫉妬のような、うらやましい気持ちになる。

22歳はもう十分に大人なのだろうか。大人とはなんなのだろうか。まわりをみていると大人だなぁと思うことがよくある。対してわたしは大人じゃないなぁと思ってしまう。

自分の年齢を書く欄には未だに21歳と書きそうになるし、(ひどいときははじめに1を書いてしまう)街を歩いていても高校生や大学生と間違えられるし、セックスの話は苦手だし、いわゆるOLみたいな服装もいまいち似合わない。

自分の中身と年齢が釣り合っていないかんじ。

先日、知り合いとお酒を飲んでいるときに大人になれない気がすると話した。彼はわたしに対して「きみは十分に大人だと思うよ。もう働いているんだし。」と言った。

まだ(もう?)4ヶ月しか働いていないけど、確かに働いてるというのは大人なのかもしれない。

「だけどわたしはぜんぜん大人の気がしなくて、次に住む家だってひとりで決める自信がないし、そういう大きなことはなにをするにも親に相談しなきゃって思っちゃうんです。」

「だったらこうしよう、次に住む場所は親に頼らずに自分ひとりで決める。そしたらちょっとはきみが思う大人になれるんじゃない?」

そんなこんなでわたしは次に住む場所をひとりで探すことに決めた。新しい部屋が決まるまでうちに住んでいいよというおじさんの言葉に甘えようかと思っていたけれど、絶対にいまの部屋を引き払うまでに新しい部屋を探すと決めた。

大人になるってことは、ひとつひとつ自分で決定していくことなのかもしれない。そこには責任が伴う。

ひとつひとつ自分で決める。自分に許可を出す。

ほんとうは大人になりたくないと思うから大人になれる気がしないなんてことはわかっているんだけど。そろそろ「大人のわたし」という新しいわたしになるのもいいかもしれない。

制服姿の女の子たちをうらやましく思うのも、いつまでも夢を見ていたいと思うのも、夢をみるだけで責任を負いたくないからなのかもしれない。

何者にでもなれる彼女たち。可能性のある未来。届かないものへ触れたい気持ち。制限があるからこそ惹かれる。わたしだって何者にでもなれるはずなのに、なんでも自由なはずなのに、息苦しい。全部自由になった大人は自由すぎて放り出された気分だ。

いつか、自分をこどもだと思わなくなる日がくるのだろうか。みんないつ大人になるんだろう?いつこどもじゃなくなるんだろう?大人になるために必要な経験があったのだろうか?それがまだわたしにはできていないのだろうか?

22歳のわたしはまだまだ中途半端で大人になりきれていない。

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これは過去に投稿したけど消しちゃったもののひとつで、長くなるけどこの続き。

結局新しい引越し先は見つけられずおじさんの家にお世話になることになった。といってもおじさんはいま転勤で家におらず、実質一人暮らしだった。金魚の世話を任されていたから自分の朝ごはんは食べなくても金魚にはちゃんとエサを与えてた。大きくなったピンク色の金魚の尾びれはひらひらして綺麗だった。

夏の初めから体調を崩しがちだったこともあり夏の部屋探しは進まなかった。このままずっとここに住むのかなあとぼんやり思っていたけど11月のちょうど誕生日の頃に「年内に引っ越そう」と思い再度部屋探しを始めた結果、無事に新しい部屋を見つけ年内に引っ越しを完了させた。

最初の約束は守れなかったけど、自分で見つけて自分で契約するということができたので、それだけでも少し大人になったと思う。初めて自分で家賃を払っているので、あまりのお金のなさに泣きたくなる時もあるけれど引っ越してよかったと思う。自立への一歩。

新しい部屋はたくさんの信号機がある交差点の近くにあって、夜に全ての信号が赤になる瞬間を楽しめるのが少し気に入っている。引っ越したタイミングでやめどきがわからないまま通っていた病院にも行かなくなった。行かなくなってよかったと思う。あの時のわたしには必要だったけどいまのわたしにはもう必要ないよ。

22歳のわたしはしっくりこないままだった。大人にもなれなかった。だけど22歳のわたしも悪くなかったと思う。





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