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2023.07.31


夏になると体調を崩す。手元ですぐに確認できるものだけでも、5年くらいは毎年この時期に自律神経がやられてぐったりとしていた自分の記録があった。
殺人的な日の強さと、思考をぐずらせる湿度の高さと、容赦なく冷やす冷房に耐えられないのだ。その代わり、夏の日の夜は他の季節の夜よりも特別に好きかもしれない。
終わりへ向かうものを惜しむよりも、終わってしまったものの余韻に浸る方が好きだ。
夏は肌に合わないけれど、夏という季節がくれる刹那的な時間はどの季節よりも好きなのだろう。
「まだ明るいね」って、夜をわくわく待つことができるのも夏の特権だって気づけた。


自分の中で言葉を空っぽにしたい時期があって、その思考を逸らすためなのか6月は狂ったようにドラマを見て、今月は狂ったように本を読んだ。
散々他人事の物語に思考を浸からせ、必要以上に考えてしまいそうな自分事には余韻が欲しかった。
ただでさえ忙しない生活の中で、考えすぎることに疲れてしまったのだ。意識的に思考の糸を断ち切るのが苦手な私は、他人事で脳を満たすしか方法がない。
少しばかりフラットになった自分の中で、己の欲の強さを思い知る。何が大切なのか、譲り難いのかもそこでやっと線をなぞれる。

電車がやって来る気配がして、髪を耳に掛けた指先がふと耳たぶのピアスに触れた瞬間、私は唐突に気付いた。
忘れてる、と。
あれほど痛かったこと。震える手でフォークを握りしめるくらいに悲しかったこと。もう思い出せない夏の湿度のように。

『夏の裁断』より


いつか私が今年の夏を思い出すときは、どんな質感なのだろうか。
感じ切った痛みや悲しさ、震えるほど嬉しかったことや一緒に過ごした人々の顔だって元の質感を忘れてしまうだろう。忘れることはいいことに違いないけれど、今の私が何年目の夏を思い返すように、この夏を思い出すときに幸福な想いが満たすのか、胸に痛みが走るのかは未来の私にしか答えが分からない。
猛スピードで駆け抜ける日々の中で、何かを掴もうと必死になったこと、その手に何か掴めたのかの中身だって今の私には知る由がない。

夏の真っ只中にいるのに、夏の終わりについて私はずっと考えている。
この夏の湿度や日の強さ、熱くなった首の後ろの温度を忘れる頃を今から恋しく思うくらいには、私はきっと答えが欲しくてもどかしいのだろう。
日の長さが余計に、過ぎ去った時間の重みを思い知る。夏の重みに潰されないように、影を選んで踏み進めていく。




最近は懐かしい人たちに会うことが多く、高校の友達たちに会ったら10代の自分の心を生々しくたくさん思い出した。
あの頃の私が想像もしなかった未来に私はいるけれど、今の私は、こんな私のことも私の人生も気に入っているよ。
あの頃の私が今の私を見て気に入ってくれるかは分からないけれど、実在しなかった架空の未来よりも、悲しいくらい現実的な今の愛しさは今の私にしか分からないはず。
どんな色の絵になっても、今の私の連続で描かれた現実に私は立っているのだから。

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