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大事なものが増えていく

お久しぶりです。
個展そして臨月を乗りきり、出産予定日をやや過ぎて、3500g超の第一子を迎えました。

バタバタの生後二ヶ月が過ぎ、子が幸いにも今のところ比較的手がかからないタイプなのもあり、写真を撮ったり、現像も少し…等できるようになってきました。
本当に、出産、子育ては運要素だらけ、思いどおりにいかないことしかない、そんなことばかりです。
日々理屈では表せないことばかり。
まず、出産しようということ自体が中々理不尽要素ばかりで、冷静になるほど避けて通りたいものです。
そして、溢れる不安。
―こんな生きづらい世の中に産み出してかわいそうなのでは?
―親の都合で命を生み出す理不尽さよ。
―こんな完璧ではない人間が人間を産むのか?

それでも、今毎日毎秒気を配り、世話を焼かずにはいられない存在は、紛れもなく大切で大切でしょうがないものなのです。
これは理屈じゃない。

そして紛れもなく私とは独立した存在の小さな人は、まだまだ未熟ですが、私の考えに押し込めるには大きすぎる程、立派な存在です。
私なんかから生まれて、こんな世の中に生まれて「かわいそう」、そんなことを決めつけて良いほど矮小なものではありません。
小さな手の強い握力、首がすわる前から見せる自我のある笑顔、生命力のある泣き声、この人は、自分の人生を歩むことができる、それを私は応援することしかできないが、全力で応援することができる、それはなんて幸せなんだろう。

大切なものが増える。
時には時間も手も足りなくなる。
そんな時は苦しくなる。猫には今、前ほど膝を貸したり、顔を撫でたりできなくなってしまいました。
それでも、猫も相変わらずとてもとても大切なものなのです。

取り留めもないことをつらつら書いてしまいました。
今幸せです。大変ですが。
私は相変わらず私で、大切なものは相変わらずそのものらしくしています。
これからも、大切を大切に。

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