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執着は幸せに生きたいわたしから

りさへ

「執着」ということでりさと話をしたくて手紙を書きます。

Wikiで調べると…
「事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。」

執着しちゃうときって、どんな時?
わたしは基本的に自分の思う通りに行かなかった時。
どうかな?

●楽しみにしていた予定がキャンセルになってしまったとき。
●自分以外の人がたくさん評価を受けたり、よろこばれる実績をつくったとき。
●何で自分は何やってもうまくいかないのって、下向きになっているとき。

客観的にみて、そんな小さなことってってりさも感じるかもしれない。
でも執着、とらわれているんだよね。自分のコントロールを超えている。


身近なことだと。
子どもたちをみていて、これ参加してきたら絶対たのしいのにって
言って来たらって聞いて、「行きたくない」ってなる。
なんで行ってくれないの?って執着している自分がいる。

ステキなユリの花を買ってきて、これからお花をいけようと思っていたら
子どもたちがいじって、なぜかお花の花粉が花びらにとびちっていた。
悔しくて執着している。

それって、よくよく考えてみると
こどもたちにいい経験をしてもらいたいっていう心との葛藤からくる固執。

お花のことも、美しく飾って楽しみたいという心との葛藤からくる固執。

なんだ、執着って悪いものってばかり思っていたけど、
こんなに素直に、真剣なわたしから来ている感情。

だから、執着しているのは悪いことじゃない。
全ては素晴らしいわたしからきている。


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