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リゾートの次の宿泊施設コンセプト(ヴィジョンの産婆術 事例紹介①)

 いつまでも頭の中にとどまり続けているひらめきを、対話によって掘り起こし、その核と輪郭を探し当て、構造化することで形にし、事業化への道筋を付ける「ヴィジョンの産婆術」の事例です。

 北陸3県に、遊戯施設やゴルフ場、飲食店などを展開するアミューズメント事業者S社様を経営するA専務からのご依頼で、コロナ後を見据えたリゾートに変わる新しい宿泊概念を見つけ出すお手伝いを致しました。

 現在は用地選定の段階ですが、コンセプトの明確化までが受託範囲でしたので、差し支えない範囲でご紹介するものです。

■ご依頼内容

 アミューズメント事業者S社A専務からの依頼は、新規事業を立ち上げるべく検討しているが、「思い」がうまく具体化できないために事業化が進められないのでコンセプトを明確化する支援をして欲しいというものでした。

  実現したい新規事業は宿泊施設の立ち上げであり、お話しを伺ってみると、専務には、これからの宿泊施設にはリゾートのようなラグジュアル志向ではない「本物」を提供する宿泊施設が求められているのではないかという漠然としているが強い思いがありました。しかし、その思いを事業化の決断につなげるための客観的な整理ができずに困っているということでした。

 専務は、経営者として冷徹なビジネス思考を持っています。一方で、心の内に熱いパッションを秘めていらっしゃいます。この2つ特性が両輪となって経営をドライブされているようですが、今回は、熱いパッションが訴える『「本物」を提供する』という着想に対し、冷徹なビジネス思考がダメだしをしていて、両輪の回転が揃わないで苦しまれているようです。

 そのことについて、本人も自覚していて、「本物」を提供するということに大変強いこだわりをもっているが、事業として検討できるようにコンセプトを磨きたいということでした。

■ヴィジョンの産婆術

 ヴィジョンの産婆術の基本構造は次の5ステップで構成されます。セカイという言葉が出てきますが、クライアントが認識している世界のことです。市場全体をマルチバースに見立てた場合、たくさんのセカイが宇宙=マルチバースを構成していることになります。

①とにかく聞く;クライアントの「語り(ナラティブ)」を聞きます

②ストッパー探し
;クライアントが自己解決できない理由を探します

③セカイ探し
;クライアントの「物語(ナラティブ)」の全体像=核と輪郭を対話を通して探します

④マルチバース認識
;クライアントの思いを先行事例や類似事例を参考に、より一般的な言葉でパラフレーズし、市場の中に位置づけます

⑤再帰的セカイ認識
;③④の過程で構造化していったクライアントのセカイを、あらためて自分が考えていたセカイだとクライアントに認識頂きます

 クライアントと信頼関係が築くことができれば、「①とにかく聞く」ことができます。聞いている中で、クライアントの思い(強い場合は悩みや苦しみ)を理解します。

 今回は、『「本物」を提供する』という着想が、自分で納得いくレベルのコンセプトに落とし込めないということです。

 課題がわかれば、その課題を創り出している障害を見つけて取り除きます。これが、「②ストッパー探し」です。

 自分の着想なのに、自分が納得がいくレベルのコンセプトに自分で表現できないというのは、何か着想にストッパーがかかっているからです。

 こういうことは、多くあります。

 誰かと話しているうちにストッパーに気がつけばよいのですが、経営者は往々にして孤独であり、特に部下から強く尊敬されている場合には、ストッパーが外れるほど刺激的な対話は成立しにくいものです(だから社外取締役や経営者どうしのフランクな集まりやメンターなどに需要があるのだと思います)。

 「ヴィジョンの産婆術」では、対話を通してストッパーにあたりをつけます。パターンとしては2つあります。

 1つは、何か抵抗があって、ズバリの表現が言えないために的確でない言葉を使ってしまっているか、言葉が多くなって伝えたいことが伝わらない状態になっているパターンです。今回のケースもこれに当てはまります。

 もう1つは、理性が対象にしている課題に関連した、感情がより重視している課題が隠れていて、クライアントの気持ちがそちらにひっかかってしまって、目下の課題解決に集中できていないというパターンです。こちらは、本件とは別の事例でご紹介します。


■セカイ探し

 「本物」は抽象度の高い言葉ですから、それが何を意味するのか明確にしておく必要があります。おそらく、「本物」を具体的な言葉で語ることを妨げているものがストッパーなはずです。

 ストッパーは、本人や私がすぐに気がつく場合もありますし、なかなか気がつかない場合もあります。

 「ヴィジョンの産婆術」はビジネスのプロセスであり、セラピーではありませんから、ストッパーがすぐに分からなければ、「②ストッパー探し」にとらわれず、「③セカイ探し」に進みます。セカイ探しの過程でストッパーが見つかることもよくあります。本件もそうでした。

 セカイの全体像を知るには、中心と輪郭を明らかにする必要があります。

 「本物」を提供したいというA専務のセカイの中心は、言うまでもなく「本物」ですが、この「本物」が何を意味するのかは、何が「本物」ではないかを知ることではっきりします。この本物とそうでないものの境目が、セカイの輪郭になります。

 そこで、「本物」を様々な意味で用いている事例を調査し、A専務にぶつけてみることにしました。

 具体的には、「流行」や「ブランド」に左右されない「素材の良さ」や「つくりの良さ」への「こだわり」を「本物」としている例、「その地域でつくられたもの」を「本物」としている例などです。

 「本物」に関する学術研究も調査しましたが、網羅的にピックアップされた本物因子を照会すると、「思い」が拡散して初心が雲散してしまう恐れがあります。輪郭を明らかにするには、似て非なるものを突き止めるのが効果的であるため、学術調査結果は私の参考までに留めておきました。


■本物とは何か

 様々な「本物」に関する事例に対しての共感や違和感を感じていただく中で、A専務が提供したい「本物」は、「本来の」に近いものであることが分かってきました。
 例えば、本来あるはずの旬の魚や旬の果物を一年中ではなく旬の時に味わうのが「本物」、川魚を得るにしても自己流の捕獲ではなくプロの技を教わり自分でやってみるのが「本物」、疲れない山歩きなど本来の身体の動かし方を知り実践しているのが「本物」といった具合です。

 A専務が「本来」ではなく「本物」という言葉を使った理由は、「本来」では語り尽くせないニュアンスを「本物」という言葉に込めていたからだということも対話を通してわかってきました。

 「本来の」が持つ虚飾を剥ぎ取っていくニュアンスだけでなく、知らなかった「本来の」技法を知り、個々人の「本来の」ポテンシャルを引き出すことで、「本物」になるという、付け足していくニュアンスが「本物」にはあります。「本来の」と「本物」とは、A専務の中ではベクトルの向きが逆だったのです。

 次に、なぜ「本物」が重要なのかについて語って頂きました。A専務の思いの根幹には、現代は人が人らしく生きられないという危機感がありました。その裏返しが「本物」だったのです。

 事業のコアとしてより明確化するために、人が人らしく生きられないことに対して、なぜ危機感があるのかについて、少し突っ込んだ質問をしてみました。

 旬のものを食べなくても一年中食べられることで栄養のバランスが取れるし、疲れたらリラックスするのも楽しみだし、疲れない道具を選ぶのも経済を好転させます。プロの技を知らなくても、知らなければ比較して劣等感を抱くこともありません。「現代」は「本物」でないことで回っている側面があります。それなのになぜ「本物」なのかという質問です。

 これについての回答は、「本物」でないことが常態化した日本の未来が不安だというものでした。「本物」に触れる機会のない生活は、生命力を弱めてしまうのではないかという危機感です。さらに、経済や社会といったマクロはうまく回っても、個々人は幸せを感じることはできないのではないかという懸念を聞くことができました。

 「本物」は容易に実感できるものではないので、宿泊施設になるが、リゾートに泊まって得られる幸せとは方向性の違う幸せを提供したいとのことでした。

 「生命力」「個々人」といったキーワードが出てきたので、「スローフード」(1980年代に北イタリアから始まった反ファストフード運動で、顔の見える相手から信頼できる食を得ようという食を通じた共同体自治)と共鳴するものかと尋ねると、全く違うと言います。「本物」は提供手段を問わないので、ファストフード的に提供されても構わないそうです。

 むしろポイントは、「人」にあり、人は普段の生活で何らかの自分像を創り鎧のようにそれを身に付けて生きているが、日常に無い鎧を脱ぐ機会を提供したい。鎧を脱げば個性と思っていたものが個性でなくなるので、宿泊期間を自分のポテンシャルを活かす新たな個性を身に付ける期間としたい。

 このように、対話を通して、事業で実現したいことが徐々に明確になってきました。「本物」は「鎧のない自分」の実現のために必要なことだったのです。

 同時に、なぜこれまで思いを出し切れなかったかの理由も明らかになりました。「鎧のない自分」という概念を前面に出してしまうと宗教や社会運動のように見られてしまうのではないかという経営者としてのリスク認識と、「本物」を提供することが時代要請に適ったものであるかどうかの確信が持てなかったことの2つが、思いを出し切ることへのストッパーになっていたのです。


■ポスト・リゾートの社会的な意義

 セカイが明らかになったので、次は「④マルチバース認識」です。
 自らが認識している世界(セカイ)の外にも認識できていないセカイ群があるという構造で世界全体(市場全体)を捉えます。
 そして、自分が捉えているセカイ(市場)を、その外の市場(マルチバース)に接続することで、自分の市場を開かれた市場(マルチバース)に定めます。

 そのために、クライアントの独特の用語を、より一般的な言葉に言いかえます。

 「鎧のない自分」は、「素な自分」にパラフレーズできます。となると、事業のコンセプトは、『「本物」に触れることで「素な自分」を得る空間を提供する』と整理できそうです。

  さて、市場は時間の創り出す物語でもありますから、上記のコンセプトが現在の市場に価値を持つものとして位置づけられなければなりません。

 上記のコンセプトは、「自分」と世界(セカイ)との関係性に関したことですから、市場社会の歴史の文脈のおさらいが必要になってきます。
ここでは長くなるので調査の詳細は割愛しますが、平成は「自分探し」の時代でした。

出典:withnewsの記事の図から筆者加筆

 令和のはじまりはちょうどコロナ禍の到来と重なります。コロナ禍による移動の制限と、移動しなくても自分にぴったりの環境にアクセスできるスマホ×SNSの普及によって「自分探し」のトレンドが終わったのが令和の時代です。

出典:お客様提出資料より

 この時代に、なぜ(個性という鎧を剥ぎ取った)「素な自分」になる宿泊施設が必要なのか、これを明確化することが、事業の価値の証明となります。

  結果から書いてしまえば、令和では、自分と環境という二元論は成り立たなくなり、サバイバルのために「生命力」を高めておく必要があります。それをアミューズメント性のある宿泊施設で提供するのが、『「本物」に触れることで「素な自分」を得る空間を提供する』事業です。

 もう少し説明すると、これまではリアルの模倣して創られるのがバーチャルだったのが、バーチャルの世界のUI/UXがリアルに染み出てくるようになります。
 そして、自我も環境と不可分になっていきます。例えば、気に入った音楽で平常心が保たれる場合、これまではお気に入りの曲を聞くことで達成できました。それが、自分が気持ちよくなる曲はサブスクのレコメンドが自分より知っている状態では、ニュートラルな自我はデジタルな環境が保障することになります。これが、食や健康や学習などあらゆる分野で起こってくると、もはや自分と環境は相互浸透する存在になってしまいます。

 新型コロナ禍による移動の制限などで、企業のテレワークやDX化、学生の在宅学習などが促進され、時代がこの1年で10年分進んだという言い方がされることがあります。進んだということは、裏を返せばテレワークなどの動きは新型コロナ禍がなくても進行したことを意味します。在宅勤務や在宅学習は職場や学校と暮らしとの境目を曖昧にします。また、デジタル化による情報の集積によりプラットフォーム側で個人の好みに合わせたチューニングが可能になったことは、個人のアイデンティティがデジタル環境との共有物になったことを意味します。

 これが、社会のセカイ化です。セカイでは自分は環境に溶けていってしまいますので、溶け残るものが「素な自分」であると考えることができます。 溶けた自分を覆う鎧がネットとつながったガジェット(デジタル機器)になるのですが、自然災害などの頻度も増し、社会不安のリスクも高まると、「生命力」を高めておくに越したことはありません。

 社会の変化を中長期的に捉えれば、クライアントの『「本物」に触れることで「素な自分」を得る空間を提供する』という宿泊施設のコンセプトは、時代の要請に合致したものと整理できます。

 考えて見れば、非日常空間で癒しを提供するリゾートは、どこか他のところに自分があると仮定する「自分探し」の時代、平成にぴったりのビジネスモデルでした。職場や学校といった別々の日常の場の区分けが融解し、自分と環境の区分も曖昧になっていく令和の時代には、これまでの宿泊施設とは全く異なった市場を創造しなくてはなりません。既存のリゾートや宿泊施設を前提に、STPを決めていくことはできないのです。

  素な自分というのは、『鬼滅の刃』に喩えて言えば、鬼滅隊に入る前の炭治郞です。素直で魅力的であっても、武器の無い弱い自分では、鬼が出るようになった危険な世の中で生きていくには適していません。本物(柱)や仲間(善逸や伊之助)に出会い「素な自分」を創り、自分にあった必殺技を身に付ける場が、新しいコンセプトの宿泊施設となります。

  非日常を提供することで癒しを与えるリゾート施設から、日常に帰った時に宿泊する以前の自分とは何か違う自分になっているリリース&エンパワメントを可能にするリボーン施設というマーケットへの転生を実現することが、新規事業の目的として整理できました。

新コンセプトの宿泊施設によって起こる顧客の変化

 このように、当初の「本物」を提供したいという思いを、ヴィジョンの産婆術によって事業コンセプトの形にすることができたのですが、これが間違いなく当初の思いの可視化であると納得いただくことが、「⑤再帰的セカイ認識」です。
 「再帰的」とは、自分の中にあった未整理のものを自分の外に外部化し整理構造化した上で改めて自分の中に取り込むことです。整理構造化の過程では、当初の思いを核として新たな事柄が付加されますが、子供が大人になってもアイデンティティが継続しているように、再帰的に整理構造化されたセカイはもとの思いを整理して表現したものでなくてはなりません。逆に言えば、常に当初の思いのアイデンティティが継続されるかたちで対話が継続され、思いがかたちになったと納得したときにヴィジョンの産婆術は終わります。これが「⑤再帰的セカイ認識」です。

■異世界転生戦略として

  さて、今回の案件は、平成を席巻したリゾートを、令和という異世界に転生させたと考えれば「異世界転生戦略」の事例でもあります。

 最後に、「異世界転生戦略」として見た場合の本件についてまとめておきます。

 ◆ポスト・リゾートの異世界転生戦略

STEP1.【認知不協和確認】

・これからはリゾートではないラグジュアル志向ではない「本物」を提供する宿泊施設が求められているのではないかという漠然たる思い

STEP2.【閉塞状態確認】
・宗教や社会運動と混同されたくない。時代の要請に合致したものでありたい。

STEP3.【創造的調査】
・新型コロナ禍以前の平成期の消費者動向とリゾートとの関係調査の結果、「自分探し」の平成と非日常体験を提供するリゾートの組合せの次のニーズが明らかに

STEP4.【ナラティブ創造】
・リゾートに替わるリリース&エンパワメント施設によって、ポストコロナの時代に日常を生きる力を強化する

STEP5.【マーケティング展開】−未展開−
本事案はコンセプトメイキングまで

表題Photo by FIND/47

 

 

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