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始めてみる

 勢いでアカウントを作成。
 ここで何を発信するかは、まだ全く決まってい
 ない。

  「ちぃぱぱのnote

 方向性もテーマも何もないまま、とりあえずの
 見切り発車的スタートです。

SNS、嫌いでした。


はじめまして、「ちぃぱぱ」です。

趣味として、またフィットネスも兼ねて取り組んでいる「サイクリング」。

その活動記録を「チャリ活日記」として、Instagramで発信してきました。

振り返ると…


ガジェット&SNSアレルギーの自分。

その自分がInstagramで発信を始めた、奇跡的・まぐれヒット的な出来事。

それから1年と少しが経過しました。

「とりあえず撮った写真、テキトーに載せりゃぁいいんでしょ?」
そんな軽い気持ちで始めた、インスタ投稿。

note」を開始した現時点で、その時と丸っ切り同じのノリ。

この先、どうなることやら。

それまでは…


自分にとってSNSは「情報収集専用」のツールでしかありませんでした。

推しのアーティスト、
好きな芸能人、
スポーツ選手、
自己啓発系や料理のレシピなどなど。

いつも投稿を眺めて「いいね」を押して、フォローする。
その繰り返し…

自分とは住む世界が違う「キラキラした人の集まり」。
そういう想いをSNSに対し、感じていました。

そんな自分に「発信」するきっかけを、与えてくれた出来事がありました。

それは長年、趣味にしていた「スポーツ自転車」への復帰でした。

今年の8月のInstagramへの投稿



インスタでは…


もともと、自分は「晒す」ことが苦手な性格。
他人を気遣うばかりに自分の気持ちに蓋をして、何も言えない…

周囲からは、それが「優しい」と評価されることもあります。
しかし、当の本人は「辛い」だけ。

ひとつの趣味の再開をきっかけにして、
好きなことであれば何か発信できるのではないか
そう思い、Instagramへの投稿を始めました。

交通事故や病気の影響で、一時中断せざるを得なかった「大好きなこと」。

自分のInstagramの投稿は、自転車を選びに行くところから始まっています。

行った先々の風景。
それと一緒に収まる自転車の写真。
雑感のキャプション。

私のInstagramは、日記的な要素で構成されています。

さて、ここでは何をしよう


インスタで感じた限界点


この1年で、たくさんのご縁をいただきました。

いつも「いいね」をくれる人。
DMのやり取りで、仲良くなった人。
実際にお会いし、一緒にサイクリングした人。

Instagramを始めて、半年ほど経った時のこと。
ひとつの疑問が頭に浮かびました。

自分のキャプション、読んでくれてるの?

写真だけを見て「いいね」をプッシュしてしまう。
自分もよくやってしまいがちです。
特に忙しく、時間がないときに…

Instagramは写真ありきのキャプション。
文章主体ではないため、細かいニュアンスが伝わらないことも多々あります。

投稿を続けているうちに、次第に「ブログを書いてみたい」という気持ちになっていきました。

「note」を始めるきっかけ


Instagramのフォロワーさんの中に、既に「note」を利用されている方が、数名おられます。

今回は、半ば便乗する形でした。
ブログは書いてみたいが、なかなか覚悟が決まらない自分。
その自分を後押ししていただいたように感じています。

左も右も、ましてや上下や斜めもなく、訳のわからぬままアカウントを作成してみました。

まだ「どんな内容にするか」、「何を発信するか」といったことは、何も決めていません。


とりあえず、始めよう


前述のように「見切り発車」的に始まった、私の「note」。

ガジェット&SNSアレルギーも未だに完治せず。

私が発信することに付加価値と需要があるとは、到底、思えません。
「ブログ」としての文章の書き方も、まだ勉強すらしていない状態です。

ただ、ボヤッとイメージしていることはあります。
それは、Instagramよりも「広く・詳細に」。

テーマを自転車ひとつに絞るのではなく、その周辺やプライベートで感じた私見や雑感も含めて、広く発信していければと考えています。

ここで書く内容は、あくまでも個人的な感想や価値観・考え方です。
私は何かのプロではありません。
その点は、どうかご容赦くださいませ。

それでは、Instagram共々、よろしくお願い致します。

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