無職になって1年

無職になって1年経つ、躁鬱によって仕事を辞めても生活レベルを落とすことができず、むしろ浪費が加速していった。しかし目減りする貯金のペースは気分を落ち込ませるのに充分な程で、最近は躁も落ち着いている。次なるステップは就職だ思いつつも何もできていない自分がいる。一応ここ10年くらいは働いていたので一旦労働を始めればそこそこ続くとは思う。しかしその心境へ辿り着くことができない、したくない自分がいる。何もしないことに慣れてしまうと、こんなにもずっしりと体が重くなってしまうものだったか。失業保険はまだ貰えるけれどもいずれは切れる、その前までに何らかの仕事は見つけなければ生活がままならなくなってしまう。支出も適正なものにしなければならない。そのような焦りと社会への罪悪感のようなものはある。貯金が潤沢で、躁傾向が強かった時はこんな事は考えなかった。人間貧すれば鈍するものである。

可能であれば石川啄木のようなメンタルが欲しかった。かのマルクスもエンゲルスに多いに資金援助をしてもらっていたとどこかで聞いた。探すべきはパトロンだろうか。いやそんなはずはない。やはり普通に働く意欲が欲しい。もしくは自営できるノウハウが欲しい。社会に参画せずに健全なメンタルを維持できるほど私は強くないのだと悟る。社会に参画したいが、できる能力や意欲がない(と自分では思っている)

躁の時の私はなんだったのか。何でもできる気がしていたし、色々な人にグダグダと自論を撒き散らしてしまった。それはまぁいい。自論は持っておくべきだ。問題は実践なき理論は空虚だという事である。

こんな私に誰がした。デカルトやスピノザは特に何も言ってはくれない。

仮に外部からの刺激で私が現在の状態を選んでいると言うのなら、どうか私をもうちょっとマシな方向にシフトさせてはくれないだろうか。

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