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noteとは(14日経過)

定点観測的に自分がnoteに持つ印象や使用感を記していこうと思う。
今回はnoteにおける「孤独感」について。

noteを始めたきっかけはTwitterの居心地悪さからだということは前回書いたとおりで、フォロワーさんとの関係が険悪になるようなことがあったわけではないし、何かもめたりしたわけではない。

ならばその居心地の悪さとはなんだろう、と考えるに「孤独感」ではないかと思うに至った。
正確に言うなら「孤独感の種類」か。

つまりひとりでいる時の「教室」と「喫茶店」の違い。

教室の孤独感は、
教室みんなとわいわいやるのは楽しいし、その喧騒の中ひとりでいるのが心地よい時もあるけど、
でもなんの拍子かつまらなさを感じだすと途端に居心地は悪くなる、あれ。

喫茶店の孤独感は、
たくさんの他人の中にひとりでいる肌感で、
赤の他人どうし思い思いに憩う時間のそこはかとない連帯感で、
自分が誰にとっても何者でもないことの解放感に似た、あれ。

つまらなさとは当事者感と反対のもの、第三者感だろうな、と思う。
孤独をつまらないと思うか楽しいと思うかも自分の意識が自分の当事者であるか第三者であるかによるなぁ、と。

ひとりでいることは好きだし、必須だ。
noteのアカウントをウロウロとしているのも、ひとりでほっつき歩いてウロウロするのが好きだからだ。

ひとりの時間は自分に戻る。
それが好きだ。

今のところnoteは喫茶店にいるみたいな感じ。

今も喫茶店で書いてるしね。



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